へん

へん

へん
(三)へん

小佐田 お次は「へん」ですけど……。

枝 雀 これはねェ、ほんまにあるような噺をしてて、最後に変なことがおこって常識の枠を踏み越えた時噺全体がウソになって終わるというやつです。

小佐田 具体的に言いますと……?

枝 雀 『池田の猪買い』でんなァ。わたしは最近サゲをかえて演らしてもろてるんですけど、ここわわかりやすいようにフツーの型のサゲで説明しますわ。猪を目の前で仕とめたったのに疑い深い男が「これ新しいか?」ちゅうたんで、むかついた猟師が鉄砲の台尻で倒れてる猪をどついた。ところがこれが気を失うていただけなんで起き上がった猪がむこうへさしてトコトコトコ。猟師が「どうじゃ客人、あのとうり新しい」とサゲるわけですね。

小佐田 ハイ。

枝 雀 このネタでいうと、「あのとおり新しい」で常識の線を越えてしまうわけだ。

小佐田 「新しい」も「古い」も、いきてまんねんからね。

枝 雀 そうです。ですから、きき手のほうも「ちがうちがう、それ生きてんねがナ。そんなアホな」となるわけです。

小佐田 ハァ、きき手が突っ込みを入れますか?

枝 雀 突っ込みが入ります。これが「へん」の特徴です。

小佐田 この種の噺というたら……。

枝 雀 『千両みかん』がそうでんなァ。

小佐田 「番頭、みかん三袋持ってドロンしよった」ちゅうやつでんな。

枝 雀 このネタなんか上々の「へん」でしてね。サゲの直前、真夏の炎天下に大阪中にたったひとつだけ残ったみかんを千両で買いとって、若旦那に食べさすとこまでをいかにありそうな噺としてもっていっといて、そのみかんの実が十袋あった――つまり一袋が百両やというふうに価値観の錯覚が自然におこって、番頭は三百両を持ったつもりになってみかんを三袋持って逐電するわけですね。つまり、サゲの「みかん三袋持ってドロンしよった」の一言でみごとに常識の枠をとび越してしまうんですよね。

小佐田 なるほどねェ。ほな、このネタにも突っ込みが入れられるわけでっしゃろ。? どない言いまんねん? 「ちがうちがう、そら三百両やない、ただのみかんやがナ」とでもなりまんねやろか。

枝 雀 まァそんなとこでんな。でねえ、同じ「へん」でもね、今の『千両みかん』みたいに状況が「へん」になってサゲになってるのんは、もうこのあと噺続けよと思ても続きませんねん。

小佐田 というと?

枝 雀 さいぜんの『池田の猪買い』は「へん」なことを言うてサゲになってますわね。こっちのほうはね、さっき言うたみたいに「ちがうちがう生きてんねがナ」とつっこむことで「あ、さよか」ちゅうてあとそのままストーリーを続けようと思たら続けられますねん。ところが、「へん」な状況になってサゲがついてる場合は、突っ込み入れられても状況が「へん」になってしもてるもんやからそのままストーリーを進めるわけにはいきまへんねん。ここらも、調べてみたらおもろいもんでんなァ……。

小佐田 ハァ、おもろますかなァ……。

枝 雀 あと、『親子茶屋』も「へん」ですなァ。いつも固いことばっかり言うてた親旦那がお茶屋の座敷でバッタリ若旦那と鉢合わせする。そこで「倅か……。必ずバクチはならんぞ」と言うてサゲになるんですけど、このセリフなんか親旦那の言うべきセリフやないですわね。立場上、したり言うたりしたらいかんことを、ついしたり言うたりしてしまうことで常識を越してしまうというパターンですな。

小佐田 『市助酒』とか『啞の釣り』、『おごろもち盗人』なんかこれですな。

枝 雀 それから、『つる』、『子ほめ』、『青菜』というように、真似をしようとしてそれがどこかでチグハグになってしもて、ついにははみ出してしまうというのもおまっせ。

小佐田 「合わせ」ようとしてはずれてしもうて「へん」になるわけですな。他に「へん」の例というとこの本の速記には『鷺とりがおますな。

枝 雀 そうです。「緊張の緩和」の説明の時に言うた通り、「四人死んだ」の一言で常識の枠を越えて噺全体がウソになるわけでんな。

桂枝雀『らくごDE枝雀』ちくま文庫


(一)ドンデン

(二)謎解き

(三)へん

(四)合わせ