オタク

オタク

オタク

ゲドは闇の中に降りしきる冷たい雨の音を聞きながら、安らかな眠りにおちていった。明け方、目を覚ますと、雨はやんでいた。からだをおこすと、マントのひだの間に、いつの間にか何か小さな動物がもぐりこんで、まるくなって眠っていた。ゲドは目を見張った。めずらしい、オタクという動物だった。

 オタクは多島海(アーキペラゴ)南部のローク、エンスマー、ポディ、ワトホートの四つの島にしか見られない動物で、からだが小さいわりには横に広い顔と鋭く光る大きな目を持ち、全身はこげ茶かぶちの光沢のある毛でおおわれている。鋭い牙があって、獰猛だから、人間のペットになることはめったにない。オタクはまた吠えも、鳴きもしない。もともと、声というものを持たない動物なのだ。ゲドはそっとつついてみた。動物は目を覚まして、あくびをした。茶色い小さな舌と白い歯が見えた。おびえた様子はなかった。「オタク。」ゲドは呼んでみた。それから塔で習った千種類のけものの名を思い出し、太古のことばで、その真(まこと)の名を口にした。

「ヘグ、おれについてくるか?」

 オタクはゲドの手のひらにすわって、からだの毛を舐め始めた。

 ゲドは肩にずらした頭巾のひだにオタクを入れた。オタクはされるままになっていた。その日、数度オタクはゲドの肩からとびおりて、森の中に駆け込んだが、そのたびにちゃんともどってきた。一度はゲドのために野ネズミをくわえてきたりもした。ゲドは笑って、

「そのネズミは自分で食べろよ。」

 と、オタクに言った。ゲドは断食中だった。というのは、その晩は冬至の祭りになっていたからだ。ゲドが夕闇の迫ったローク山を越えるあたりから再び雨が降り出した。けれども、帰り着いた学院の屋根の上には、明るい魔法のあかりがちらちらとたわむれていた。ゲドは館に入っていった。長や残っていた仲間の院生たちが、火のあかあかと燃える広間で彼を迎えてくれた。

 帰る家のないゲドにとって、この帰館は我が家に帰るのと同じだった。彼はなつかしい人びとの顔を見てほっとした。ことに、カラスノエンドウがその黒光りする顔にこぼれるばかりの笑みを浮かべて飛び出してきた時のうれしさといったらなかった。ゲドは、今年は、今までになく、この友に会えないことがこたえていた。カラスノエンドウは、秋にはまじない師の資格を取得して、すでに院生の身分ではなくなったいた。けれども、だからといって、ふたりの間には、どんなへだたりも生じてはいなかった。ふたりはたちまち夢中になって語らいだした。一時間もたつ頃には、隠者の塔の一年分をゆうに越えてしゃべっていた。

 オタクはまだゲドの肩に乗ったままだった。冬至のために特別に用意された食堂の長テーブルにすわった時も、肩にずらした頭巾にくるまって、気持ちよさそうだった。カラスノエンドウは、この小さな動物がめずらしくて、いたずらしようと手を出したが、オタクに牙をむかれて、急いでその手を引っこめた。

「おい、ハイタカ、知ってるか。こういう野生の動物に好かれる奴には、石や泉にひそむ太古の聖霊たちが人間のことばで話しかけるっていうぜ。」彼はからかい半分に言った。

「しかし、ゴントの魔法使いってのは、お気に入りの動物を連れ歩くのが常なんだろ?」カラスノエンドウの向こう隣りにすわっていたヒスイが口をはさんだ。「ここの大賢人ネマールさまだって、カラスを連れているし。ほら、歌にもあるじゃないか。アーク島の”赤い魔法使い”も野生のイノシシを黄金(きん)の鎖で連れて歩いていたって。しかし、いくらなんでも、頭巾にネズミを飼ってた魔法使いの話は、聞いたことがないね。」

 どっと笑い声が起こった。ゲドもつられて笑った。楽しい晩だった。陽気に、なごやかに、こうして仲間と冬至を祝うのは悪くなかった。しかし、これまでのヒスイのことばとたがわず、この夜の彼のからかいにも、ゲドは内心、歯がみさせられた。

アーシュラ・K・ル=グウィン作清水真砂子訳『影との戦い』ゲド戦記1 岩波少年文庫

 船にいる奴隷以外の自由な身分のオスキル人は、みな、腰に長い刀をさげていた。ある日のこと、オールを交替して、仲間と昼食をとっていると、ひとりの男がゲドに話しかけてきた。

 「ケラブ、あんたは奴隷かね、それとも国を追い出されでもしたのかね。」

 「いや、どちらでもないが……。」

 「じゃあ、なぜ、刀をささん? けんかを心配してるのかね。」

 スカイアーと名乗るその男はからかうように言った。

 「いや、べつに。」

 「じゃあ、あんたのその犬ころが助けてくれるのかね?」

 「オ、タ、ク。」ふたりのやりとりを聞いていた別の男が言った。「そいつぁ、犬なんかじゃない。オタクってんだ。」

 その男はそれからさらにオスキル語で二言三言、言い足した。スカイアーは顔をしかめて、ぷいと横を向いた。その瞬間、ゲドは彼の顔つきが変わったのに気がついた。横目でちらとこちらを見たその目には、軽蔑の色が浮かんでいた。

アーシュラ・K・ル=グウィン作清水真砂子訳『影との戦い』ゲド戦記1 岩波少年文庫

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