カラース

カラース

 わたしたちボコノン教徒は、人類というものがたくさんのチームから成っていると信じている。本人たちは知ることなく、神の御心をおこなうチームである。ボコノンは、そのようなチームを<カラース>、人をその中に組み入れる道具を<カンカン>と名づけたが、わたしを今の<カラース>に組み入れた<カンカン>こそ、未完に終ったわたしの本『世界が終末をむかえた日』なのだった。

カート・ヴォネガット・ジュニア 伊藤典夫訳『猫のゆりかご』ハヤカワ文庫

 ボコノンは書いている。「もしあなたの人生が、それほど筋のとおった理由もないのに、どこかの誰かの人生とからみあってきたら、その人はおそらくあなたの<カラース>の一員だろう」『ボコノンの書』のある部分で、彼はまたこう教える。「人はチェス盤をつくり、神は<カラース>をつくった」つまりボコノンは、<カラース>が、民族的、制度的、職業的、家族的、また階級的境界のいずれにもとらわれない存在だと言っているのである。

 アメーバのように、かたちは自由なのだ。

 ボコノンは自作の「カリプソ第五十三番」を、一緒に歌おうとわたしたちに呼びかけている。

 おお、セントラル・パークで

 居眠りしている酔いどれも

 昼なお暗いジャングルで

 ライオン狩りするハンターも

 それから、中国の歯医者さん

 イギリスの女王様――

 みんなそろって

 おんなじ機械のなか

 ナイス、ナイス、ヴェリ・ナイス

 ナイス、ナイス、ヴェリ・ナイス

 ナイス、ナイス、ヴェリ・ナイス――

 ここんなに違う人たちが

 みんなおんなじ仕掛けのなか

カート・ヴォネガット・ジュニア 伊藤典夫訳『猫のゆりかご』ハヤカワ文庫

 自分の<カラース>の限界や、全能の神があらしめているわざの真の意味を見きわめようとする人間に、ボコノンは何の戒めも与えない。そのような試みは中途半端に終るのがおちだ、とだけボコノンは言う。

『ボコノンの書』の自伝的な部分で、かれは、見きわめたふりをする、分かったふりをする愚かしさについて、こんなたとえ話をしている。

 ロード・アイランド州のニューポートにいたころ、わたしの知りあいに監督協会派の婦人がいた。その婦人はグレートデンを飼っており、ある日わたしに犬小屋を作ってくれと頼んできた。彼女は、神と神のみわざをことごとく理解していると日ごろ公言していた。人がどうして過ぎたことや将来のことを思いわずらうのか、さっぱりわからないと言うのだった。ところがさて、こんなところでどうかと犬小屋の青写真を見せると、彼女は言うのだ、

「ごめんなさい、こういったもの、わかったためしがないのよ」

「では、ご主人か牧師さんに頼んで、神さまに渡してもらうんですな」と、わたしは言った。

「暇ができれば、神さまはきっと、あなたみたいな人にもわかるように、これを説明してくれますよ」

 わたしはクビになった。わたしはこの婦人のことを忘れない。神のお気にいりは、モーターボートに乗る人たちよりもヨットに乗る人たちのほうだ、と彼女は信じていた。彼女は這う虫を非常に嫌った。見かけようものなら悲鳴をあげた。

 彼女は馬鹿だ。そう言うわたしも馬鹿だ。誰であれ、神のみわざがどのようなものか知っていると思う人間は、みんな馬鹿なのだ(とボコノンは書いている)。