カリオストロ年譜

カリオストロ年譜

種村季弘『山師カリオストロの大冒険』岩波現代文庫 の巻末年譜を引き写す形で作成。列の順序などに変更が加えられてあります。

西暦カリオストロ同時代の事項
1743六月八日、リボン商人ピエトロ・バルサモ並びにフェリチタス・バルサモの子としてシチリア島パレルモに生まれる。生名ジュゼッペ・バルサモ。 
1744 心学の石田梅巌没。
1747 太宰春台没。
1748 モンテスキュー『法の精神』
1751 フランス『百科全書』の編集。
1756 (~63)七年戦争。
1757パレルモの聖ロッコ司祭養成所に入る。 
1761アルトタスと遭う(?)。これより(~68?)アルトタスとともにアレキサンドリア、ロードス島、マルタ島、ナポリを遍歴。途上マルタ島にてアルトタスの死。 
1762 ルソー『民約論』
1764 平賀源内、火浣布を創製。関東の農民二十万の大一揆起る。
1765 ワット、蒸気機関改良。
1768四月二十日、ローマにてロレンツァ・フェリチアーニと結婚。イベリア半島ガリシアのサンチアゴ・デ・コンポステラ寺院詣での巡礼の旅に出る。伊勢お蔭詣り流行。イルクーツクに日本語学校設立される。ロシア船の接近もよくやくしきりとなる。
1769五月、エクス・アン・プロヴァンスにてカザノヴァと遭う。これより76年までの行動はすこぶる曖昧。おそらく南仏諸地方を経て、イベリア半島を横断、ポルトガルのリスボンから英国に北上したものと推定される。田沼意次、老中格となる。
1770 イギリス産業革命開始。
1772 ポーランド分割始まる。
1773 イエズス会解散。清の乾隆帝、四庫全書館を開く。
1774 『解体新書』出版。
1775 初世中村仲蔵による「大日坊」の初演。のちに市川団蔵により「法界坊」に改作。(~83)アメリカ独立戦争。
1776七月、ロンドンに登場。この頃、ロンドンのフリーメーソン・ロッジに正式入会。平賀源内、エレキテル研究。インゴルシュタットにアダム・ヴァイスハウプト主宰の啓明結社(パヴァリア幻想教団)成立、ゲーテ、モーツァルト、シラーらを招集。
1777十二月、ロンドンからブリュッセルへ。 
1779一月(または三月)~年末、クルランド公領ミタウ滞在。エリザ・フォン・デア・レッケと交わる。年末、ペテルブルクで女帝エカチェリーナ二世の宮廷工作。平賀源内獄死、享年五十一歳。
1780五~六月、ワルシャワ滞在。六~九月、ドイツ、ポーランド各地を転々。九月、ストラスブールで開業医、アルザス大司教ルイ・ド・ロアン枢機卿と識る。83年八月まで同地に滞在。ゲーテ、カリオストロに興味を持つ。ラファーター、スイスよりカリオストロ訪問のためアルザスに向う。
1781 カント『純粋理性批判』。ボーマルシェ『フィガロの結婚』上演。
1782 フランスに政治・財政危機始まる。『四庫全書』成立。
1783十一月八日、ボルドー着、84年十月まで同地に滞在。イギリス、アメリカを承認。ヴェルサイユ及びパリ休戦仮条約。最初の気球上る。(~88)天明大飢饉。
1784十月二十日、リヨンに現われる。85年一月二十七日まで同地にて活動。 
1785一月三十日、パリに到着、八月二十六、王妃の頸飾り事件に連累してバスチーユに投獄される。 
1786六月一日、バスチーユを釈放される。六月十八日、ドーヴァー海峡を渡ってロンドンへ着く。九月三日、ゲーテ、イタリア旅行に出発。パヴァリア王子テオドールによる啓明結社の禁止令。結社首脳はヨーロッパ各国に散る。シラー『見霊者』。
1787五月二日、スイスのベルンにフリーメーソン・ロッジを建設。二月二十二日、第一回フランス名士会召集。四月十三日、ゲーテ、シチリアのパレルモにバルサモ一家を訪問。
1788夏、エクス・レ・バンにて保養。九月、ロヴェレド滞在。十一月六日、ネッケル、ふたたび名士会を召集。ロシア女帝エカチェリーナ二世、喜劇『大詐欺師』を出版。
1789五月、ローマに帰還。十二月二十七日、異端審問法廷により逮捕され、天使城に幽閉される。フランス大革命起る。フランス人権宣言。ワシントン、アメリカ大統領に就任。十二月、フランス憲法制定議会、財政危機阻止を図る。
1791四月七日、有罪判決。永世監禁のためサン・レオに移される。三月十日、教皇ピオ六世、僧侶世俗基本法案を断罪。ゲーテ『大コフタ』成る。フランス国民議会。
1793 (~95)フランス恐怖政治。
1795八月二十六日、サン・レオにて死亡。(~99)フランス総裁政府。
1799 ナポレオンのクーデター、第一統領となる。



山師カリオストロの大冒険 (岩波現代文庫)

山師カリオストロの大冒険 (岩波現代文庫)