ガレッティ

ガレッティ

あとがきより

 問題のガレッティ先生だが、一七五〇年八月、ドイツ東部チューリンゲン州の小都市アルテンブルクに生まれた。その名前からもわかるように、父親はイタリア人。トスカナ出身のバリトン歌手で、数年前から同じチューリンゲン州のゴータの町に住んでいた。その間、宮廷近侍の娘と知り合い、ともども夏の客演興行でアルテンブルク滞在中にヨーハンが生まれた。

 幼いころから勉強好きで、長じてゲッティンゲン大学で法律、ついで地理、歴史を学ぶ。一七七二年、卒業とともに、当時のならわしどおり、住みこみの家庭教師となった。この家庭教師時代の著作として、『トンナ領史』『ラテン語文法教本』『幾何学指南』などの書名がつたわっている。すでにこのころ、のちの多産な執筆活動の兆候があらわれていたようだ。

 これらの著作によって存在が知られたのだろう、六年後の一七七八年、母校ゴータ・ギムナージウムの教授として迎えられた。爾来四十年、孜々として教務に励み、一八一三年には宮中顧問官の称号を授けられる。五年後、教壇を退いて隠遁生活に入ってからも、せっせと執筆にいそしんだ。一八二八年三月、水腫症により死去。七十八歳だった。

 ガレッティ教授の著作としてつたわるものは四十にあまる。全六巻の『チューリンゲン史』以下、『ドイツ史』十巻、『スペイン・ポルトガル史』三巻、『トルコ帝国史』三巻、『ペルシャ史』二巻……。劇作家フリードリッヒ・ヘッベルは一八四八年のある日の記念に、ガレッティ著『三十年戦争史』を読み終えたと書いている。また一八五八年、ウィーンの出版社からガレッティ先生大著『世界便覧、もしくは全世界の地理的・統計的・歴史的拠説につき、地勢・面積・人口・文化論につき、地理・統計・歴史百科事典』というのが復刻されているところをみると、著作のあるものは死後にもなお需要があったのだろう。

 しかし、まあ、いずれにせよ、こんにち、ガレッティ先生の著作など誰も読まない。それはきれいさっぱり忘れられた。博覧強記の地理学者にして歴史家、その著作の量において斯界の第一人者たる人の盛名は、当人が望んだところとはまるで別のところで定まった。「ガレッティアーナ」の名のもとに、その奇癖のみが後世につたわり、ガレッティはついに「失言」の同義語になるにいたった。

池内紀編訳 『象は世界最大の昆虫である』白水Uブックス