キャプテン・ドレーク略年表

キャプテン・ドレーク略年表

杉浦昭典『海賊キャプテン・ドレーク』講談社学術文庫 より作成

第一章 大航海時代の開幕

西暦月日ドレークその他
1418  ポルトガルの王子エンリケがアルガルベの総督となり、ギニア探索隊を派遣
1460  エンリケ死去
14882月 バルトロメウ・ディアスが喜望峰(嵐の岬)に到達
14924月 コロンブスがスペイン両王と西回り航海の契約を成立
 8月 コロンブスが出帆
14933月 コロンブスが帰路、リスボンでポルトガル王宮に立ち寄る
   法王教書インテル・カエテラで、アメリカ新大陸はスペイン領とされる
1495  ポルトガル王ジョアン二世がバスコ・ダ・ガマをインド航路探検隊指揮官に選出
14977月 ダ・ガマがリスボンを出帆
14985月 ダ・ガマがインドのカリカットに到着
 9月 ダ・ガマがポルトガルに帰国
1503  アメリゴ・ベスプッチがアメリカ大陸の存在を主張
15139月25日 バルボアがパナマ地峡を横断
 9月29日 バルボアが太平洋側のサン・ミゲル湾に到達
1516  スペイン王に雇われたファン・デ・ソリスがラ・プラタ河探索中、現地人により殺害される
15185月 マゼランの遠征隊が編成される
15214月27日 マゼラン戦死
15229月7日 マゼラン艦隊のビクトリアがスペインのサン・ルカルに帰着(航海日誌では9月6日)

第二章 冒険商人西へ

西暦月日ドレークその他
1532  ジョン・ホーキンズ誕生
1543? フランシス・ドレーク誕生 
1549 ドレーク一家がプリマスのセント・ニコラス島に移る 
15547月 メアリ一世と結婚するスペインのフェリペ王子をのせて、スペイン無敵艦隊(アルマダ)がイギリスに入港
1563 スペインのジブラルタルで、イギリス船がフランス船を襲撃してスペイン艦隊に捕獲される
   イギリス船がイギリス海峡でスペイン船を臨検し、捕らえられていた新教徒を解放し、スペイン船長と船員を海に沈める
156710月2日ホーキンズ船団がプリマスを出帆 
15682月3日ホーキンズ船団がギニア海岸を出発 
 3月末ドミニカ島に到着 
 9月16日  ホーキンズがサン・ファン・デ・ウルアを占拠
 9月20日夜 スペイン艦隊がサン・ファン・デ・ウルアに入港
 9月23日 スペイン軍が島を奪回

第三章 パナマに現れた海賊

西暦月日ドレークその他
  
15697月4日ドレークがメアリ・ニューマンと結婚 
  ホーキングから25トンの軽舟スワンを提供される 
  「スワン」と「ドラゴン」でカリブ海を偵察 
1570「スワン」でプリマスを出帆 
15712月パナマ地峡、ノンブレ・デ・ディオスに上陸し、逃亡奴隷シマローンと接触 
  ポート・フェザント(山鳥)を秘密基地に選定 
157110月 レパントの海戦でスペインがオスマン海軍に勝利
15725月24日「パスコ」と「スワン」でプリマスを出帆 
 7月7日 ジョン・ギャレットがポート・フェザントに警告を残す
 7月12日ポート・フェザントに入港 
15738月9日ドレークがプリマスに帰着。ドレークは財宝とともに消息を絶つ 




第四章 海賊船地球を回る

西暦月日ドレークその他
1576 プリマスに姿を現す 
1577 エリザベス1世が引見 
 9月19日エリザベス(80トン)とクリストファー(15トン)で出帆 
  重武装船ペリカン(100トン)を旗艦とし、エリザベス、クリストファー、マリゴールド(30トン)、スワン(50トン)の船団を編成 
 11月15日船団がプリマスを出帆 
  嵐で各船が損傷 
 11月28日プリマスに引き返し、船を修理して再出帆 
 12月26日モドガル港に入港 
 12月31日モドガルを出港 
15781月16日ブランコ岬に到達 
 2月2日ポルトガル商船二隻を捕獲 
 4月6日船団がブラジルを初認 
 4月16日ラ・プラタ川を遡上 
 4月27日ドウティ隊のスワンが脱走 
 5月14嵐でメアリが遭難 
 5月18日二隻の捜索を開始 
 5月19日ペリカンがスワンを発見、積荷を整理してスワンを焼却 
 6月3日クリストファーを解体して海へ放棄 
 6月19日サン・フリアンで難航中のメアリと遭遇、サン・フリアンに入港 
 6月30日ドウティを反逆罪で処刑 
 8月11日航海の是非を評議し、続行を決定する 
  メアリを解体して薪とする 
 8月16日ゴールデン・ハインド(元ペリカン)・エリザベス・マリゴールドの三隻でサン・フリアンを出港 
 8月20日マゼラン海峡に進入 
 9月4日海峡を通過 
 9月6日嵐によって三隻がそれそれ離散 
 10月7日ゴールデン・ハインドがマゼラン海峡出口にもどる 
 10月8日 エリザベスがマゼラン海峡出口にもどり、イギリス帰国を決定
 10月13日(のちの)ドレーク海峡を東に流され、アメリカ大陸南端に投錨 
 10月30日チリ沿岸へ出発 
 11月25日モカ島で現地人と戦闘 
  スペイン領パルパライソで略奪を行う 
15792月6日ゴールデン・ハインドでアリカを襲撃 
 2月15日ゴールデン・ハインドでカヤオを襲撃 
 3月1日スペインの財宝輸送船カカフエゴを捕獲 
 6月2日 エリザベスがイギリスに帰国
 6月17日サンフランシスコ北方の(のちの)ドレーク湾に停泊 
  ノバ・アルビオン領有を宣言 
 8月 ドレークの活動の第一報がマドリッドに届く




日付
日付

 本書の日付は、当時のイギリスで用いられていたユリウス暦によった。現在、われわれが使っている太陽暦は、一五八二年、ローマ法王グレゴリオ一三世が制定し公布したものである。スペイン、ポルトガル、フランスなどヨーロッパのカトリック諸国はこれをただちに採用したが、イギリスは一七五二年まで、それまでどおりのユリウス暦で押し通した。したがって、ドレークに関する記録の日付が、イギリス側とスペイン側では異なっているため、混乱を避けるためにイギリス側の資料に多いユリウス暦によることにしたのである。またドレークの世界周航の途次、太平洋へ入ってからあとの日付が、記録によっては一日ずれていることがある。これは、当時まだ日付変更線が制定されておらず、それを現代風に解釈した場合に生ずる違いである。

杉浦昭典『海賊キャプテン・ドレーク』講談社学術文庫