サンヘドリン

サンヘドリン

 批判もあるようですが、山本七平(ではなくイザヤ・ベンダサン)が日本に広めた「ユダヤの常識、日本の非常識」。

 サンヘドリンというのはイエス時代のユダヤの国会兼最高裁判所のようなもので、七十人で構成されていた。当時の法律は、いわばモーセ以来の律法が厳として存在し、問題はその解釈と適用だったから、厳密な意味では立法権はないが、新解釈には「立法」といえる面もあった。またこの解釈と判例に基づいて判決を下したのだから最高裁判所でもあった。イエスに死刑の判決を下したのはこのサンヘドリンである。この判決に(新約聖書の記述が歴史的事実なら)少々問題がある。いや少々どころではない。実に大きな誤判をやっているのである。

 というのは、サンヘドリンには明確な規定があった。すなわち「全員一致の議決(もしくは判決)は無効とする」と。とすると、新約聖書の記述では、イエスへの死刑の判決は全員一致だったと記されているから、当然、無効である。この場合どう処置するかには二説あって、一つは「全員一致」は偏見に基づくのだから免訴、もう一つは興奮によるのだから一昼夜おいてから再審すべし、としている。だがイエスの場合、このいずれをも無視して刑が執行されている。律法の番人を自任していたサンヘドリンにしてはいささか解せぬことだが、これは私の考えではおそらくキリスト教発生時の創作だろうと思う。というのは当時のキリスト教徒はもちろんその殆どすべてがユダヤ人であったから、彼らは、イエスの処刑は違法だと言いたかったのであろう。事実彼らはイエスをモーセ、エリヤ、ダビデの正当の後継者と信じ、救いの主と信じていたから、違法に処刑されたと考えるのが当然であったろう。しかし、それが、時も所も異る日本に来ると、日本人キリスト教徒のように「一人の反対もなかったということは、いかに人間が完全に悪に染まっているかを如実に示している」といった見方にかわってしまう。というのは日本では、全員一致の議決は、最も強く、最も正しく、最も拘束力があると考えられているからである。だがユダヤ人もそうだと考えてはこまる。その逆で、その決定が正しいなら反対者がいるはずで、全員一致は偏見か興奮の結果、または外部からの圧力以外にはありえないから、その決定は無効だと考えるのである。ミカ以来の考え方の表れである。

山本七平『日本人とユダヤ人』角川oneテーマ21
日本人とユダヤ人 (角川oneテーマ21 (A-32))

日本人とユダヤ人 (角川oneテーマ21 (A-32))

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