チャップマン

チャップマン

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』訳者解説

 ときにはそれは、あまりに強い説得力を発揮し、そのおかげで、精神的な統御力を欠く人々を、極端な、そしてあるときには反社会的な行動に駆り立てることもある。残念ながら、それは打ち消しがたい真実だ。そして物語というものが本来的な力(マジカルな力と言ってもいい)を発揮する以上、原理的にそういうことは起こりうるのだ。それはサリンジャーの責任でもないし、また『キャッチャー』という文学作品の責任でもない。しかし公正を期する意味からも、『キャッチャー』が間接的にせよ引き起こした二つの重大な社会事件について、やはりここで触れないわけにはいかないだろう。

村上春樹 柴田元幸『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』文春新書
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』訳者解説

 一九八〇年十二月に、マーク・デイヴィッド・チャップマンは『キャッチャー』をポケットに入れて、ニューヨークのダコタ・アパートメントの前で、リムジンから出てきた帰宅途中のジョン・レノンをピストルで射殺した。警官が現場に到着するまで、チャップマンは舗道の敷石に座って『キャッチャー』を読んでいた。彼は主人公のホールデン・コールフィールドに自己を同一化し、少し前に自分の名前を正式にホールデン・コールフィールドにかえたばかりだった。後日、裁判で判決を下されるときに、彼は申し立てにかえて『キャッチャー』の中の一説を朗読した。チャップマンは、自分がレノンを殺害した理由は、最近のジョン・レノンが『キャッチャー』に出てくる人物達のように、インチキで、不誠実で、見下げはてた人間に成り下がっているからであり、彼を撃つことによって、自分はそのイノセンスを護ろうとしたのだと主張している。チャップマンは明らかに精神に異常を来(きた)していたわけだが、それによって『キャッチャー』は再び世間の耳目を引くことになる。

村上春樹 柴田元幸『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』文春新書

 そしてヒンクリー

翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)

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