テラさんからの手紙

テラさんからの手紙

寺田ヒロオ

(1931~1992)

新潟県生まれ。高校2年から投稿を始め、昭和31年、「野球少年」に『背番号0』を連載し、人気を博す。明るくあたたかい作風で、『スポーツマン金太郎』(「少年サンデー」)では第一回講談社漫画賞を受賞。以後『くらやみ五段』などを連載するが、1970年代後半に筆を折った。

藤子不二雄A『愛…しりそめし頃に…』3 小学館

(一枚目途中より)

小生帰省((この手紙は、一九五四年(昭和二九年)トキワ荘に入居していた寺田ヒロオ氏が送ってくれたもの。安孫子素雄氏と藤本弘氏は両国に下宿していたが、手塚治虫氏が仕事場に使っていたトキワ荘の一室を譲り受けることになっていた。当時寺田氏は病気療養中で、実家の新潟県新発田市に戻っており、この手紙は郷里より書かれたものである。)して 眠ったような当地の空気をすって 連日ポーとしていますが、「入院ボケ」が甚だ強力に肉体をむしばんでいて、マンガを考えるのがオックウでたまらず特集の〆切を目前にして大いに弱っております。

 傷の方はもう二、三日病院へ通ったら良くなりそうです。他事ながらご安心ください。

 アパートの件、

 詳細がわからないとなんとも言えんのですが、

  • 手塚さんが、敷金を二、三ヶ月まって(貸して)くれるというんでしたら、
  • (いとも失礼ながら)敷金と六千円を今都合できましたら、
  • アパートへ入ってすぐ自炊するなら その道具(あとで詳しくかきますが)代を余分に五千円位都合できましたら

 早い方がいいだろうと思います。

 加藤さん*1にきいて知っていると思いますが、

 敷金三万円*2と礼金三千円、一ヶ月間代前払三千円要るんだと思いましたが。

 だからその金を何とかできたら一日も早く移った方がいいと思います。グズ\/してりうとすぐ他の人が入ってしまうでしょう。

藤子不二雄A『愛…しりそめし頃に…』3 小学館

(二枚目)

手塚さんに頼んだら三万円の敷金はまってもらえるでしょう。入ってから六ヶ月なり三ヶ月なりで返したらいかがです。

どうしても無理でしたら、及ばずながら小生が幾分かご都合します。

 健康保険(党の)*3の有難さを小生しみじみ感謝しましたが、健康保険だけでなく、こうした金の入用なときでも党員で都合できるかぎり都合したいものです。僕が上京しておれば即座に党で臨時競技して郵便車でも襲撃し……いや そんな その手段ですが、どうしてもだめでしたら 本当に僕が都合しますから、是非言ってよこして下さい。他人のフトコロを想像しちゃ申し訳ないですが、貴兄の(藤本君と安孫子君のを一緒にして)今の仕事の量で十分生活費はでると思うのですがいかがでしょう。

僕のようにルーズにしていても、食費は月四、五千円ですが、二人ならばその二倍…というようにはかかりません。六千円位で大丈夫だと思うんですが。

 それから毎月の間代が三千円。

 電灯ガス・水道等が五百円前後。

 その他新聞代*4などが五百円前後。

 食わずに寝ていてもこの四千円は毎月いります。

 これに食費、交通費、その他を加えた費用が稿料から出せれば良いわけです。

老婆心ながら、僕が上京前に引越すようでしたらと思い参考までに。

  • 引越代

引越の荷物が多いようでしたら、近くの小運送店にたのんでオート三輪*5で送ってもらいなさい。僕が港区芝三田綱町一丁目から今のところまで来たとき、オート三輪一だいで七百円(やらんでもよいのですがこの他に運ちゃんにチップ百円やりました)でした。貴兄のところからでしたら千円くらいでしょうか。運送屋にはじめにきいてからにして下さい。

    

藤子不二雄A『愛…しりそめし頃に…』3 小学館

(三枚目)

  • 自炊するんでしたら自炊道具がいります。

この金がちょっとバカになりません。僕の場合一万円くらいかかってまだ何をかったかわからんようでしたから……。

当場必要な品物。

 ナベ(中・小)計二個(アルマイト*6、米をたくのと、汁用)

 フライパン(中)一ヶ

 ホー刃(チヨウ) 一〃(魚用じゃなくて野菜用)

 マナイタ*7 一〃(足のついたのなんかいらない)

 ガスコンロ 一〃(手塚さんがくれたらもらっときなさい。)

 シャモジ 一〃(飯用)

 シャクシ 一〃(汁用)

 チャワン 二ヶ(二人分である)

 汁ワン 二〃(同じく)

 ハシ 二ゼン(〃)

 サラ 大・中・小

 丼(ドンブリ)〃数ヶ(料理をもるのも必要だが、塩、ミソ、サトウ、バターなどもっておくのがいる)

ぎり\/これだけはいります。その他、アライ粉・フキン・タワシ・バケツ・洗面器・石ケン・火鉢・やかん、他の日用品*8も思いつき次第、必要になり次第かってみるとなか\/あるものですが、一編にそろえるのは無理ですから順次かうとよいでしょう。

僕が上京すれば、一緒にみてあるきます。(一人前の口きくな…の声アリ)

  • その他思いつくまま…
  • 住民登録

引越すときは江東区の区役所(出張所でも)へ行って転出証明をもらい、米穀通帳*9も配給所からもらって豊島区区役所へ行って転入手続をします。なにしろ役人相手ですから一、二日つぶす覚悟必要。

藤子不二雄A『愛…しりそめし頃に…』3 小学館

(四枚目)

  • アパートへ越したら、その日のうちに挨拶まわりをすること

「註」僕のところへは特に念入りにすること、エヘン。石ケン(三十円くらいのもの)一ヶ(一ダースにあらず、一ヶなり)(箱入)手ぬぐい一本に名刺(又は名前をかいた紙をつけて)をそえて各戸まわる。

「十四号に越してきました。どうぞよろしくお願いします」で充分です。二階だけで良い。下の家はほとんど交渉ないから。

このアパートは特に静寂好であるから*10、ドタバタさわぐとしかられる。そのかわり仕事をするには好適だが。どうもあと思いつかんのですが、他は常識的にやってください。

僕もあんまりよろしくやっていませんので大きなことは言えないんです。


小生は十五日頃上京します。だが今月はどうも仕事がうまくいきそうもありません。特集も二、三日おくれるかもしれませんが、おくれたら加藤氏にそれとなく取りなして下さい。

  (以下略)

藤子不二雄A『愛…しりそめし頃に…』3 小学館
愛…しりそめし頃に… (3) (Big comics special)

愛…しりそめし頃に… (3) (Big comics special)

*1:加藤謙一氏。学童社の社主にして、雑誌『漫画少年』編集長。手塚治虫氏を筆頭に、多くの漫画家達を発掘し世に送り出した。

*2:「敷金三万円と礼金三千円、一ヶ月間代前払三千円…」とあるが、この手紙が書かれた一九五四年(昭和二十九年、公務員初任給は八千七百円、小学校教員の初任給が七千八百円(『値段史年表』(朝日新聞社)より)だったことを考えると、高額だといえるだろう。当時トキワ荘には、漫画家以外にも、夫婦は子供連れで入居している住民もいたことを考えると、若者の一人暮らしとしては、十分立派なものだったと思われる。)

*3:”新漫画党”の仲間達で、少しずつ出し合って貯めていた共同のお金。仲間の誰かが病気になった際などは、「健康保険」と称して貸し出すなどとして助け合った。

*4:朝日新聞社の、一九五四年(昭和二十九年)の購読料は、月額三百三十円。ちなみに二〇〇〇年四月現在は、三千九百二十五円。(一九五四年、二千年共に、朝夕刊のセット価格)

*5:正式には、三輪自動車。一九三〇年代中頃から普及。車輪は前に一輪、後部の二輪の三輪で、オート三輪の名前で親しまれた。小型で小回りが利くため重用されていたが、一九六〇年代半ばには、四輪車に取って代わられ、姿を消した。

*6:劣化防止のため、酸化アルミニウムの表面処理がされた調理器具。ヤベ、やかんなど、当時は黄色いアルマイトの器具がいちばんポピュラーで庶民的なものだった。

*7:現在はすっかり見なくなった、「足(脚)のついた」まな板。板の下に下駄の歯のような脚がついている木製のまな板を意味する。まな板に脚が付いていたのは板の間で座って台所作業をする時の為である。台所が完全に立式化すると共に、脚付きのまな板は消失した。

*8:現在のアパート、マンションとは異なり、当時のアパートは炊事場とトイレは共同がほとんどだった(もちろんお風呂もなかった)。炊事場では、それぞれ自分の炊事道具を持ち込んで自炊を行った。

*9:米穀配給制度の台帳。当時は、米を買うのにこの台帳が必要だった。食糧事情が悪い中、主食の米を計画的に配給するためのもので、一九四一年大都市の各世帯に交付後、翌年の食糧管理法により全国で実施。戦後、米穀事情が良くなるにつれて、通帳は有名無実化し、一九八二年に米穀通帳は完全に廃止された。

*10:下の図を見ても分かるように、安孫子氏と藤本氏が手塚治虫氏の部屋に入居した当初は、漫画家は寺田氏と安孫子氏、藤本氏だけであり、他の部屋は家族連れ、夫婦、サラリーマンの一人暮らしといった普通のアパートだった。この後、石森章太郎氏、赤塚不二雄氏などが入居するようになり、トキワ荘は「若い漫画家の共同生活の場」のイメージが強くなっていく。