フルヘッヘンド

フルヘッヘンド

蘭学事始 ほか (中公クラシックス)

蘭学事始 ほか (中公クラシックス)

上の巻
二十一 轡十字

 またある日のこと、「鼻」の項でで、「フルヘッヘンド」(verheffende)したものである、というのが出てきた。ところがこのオランダ語がわからない。これはいったいどういうことだろうと考えあったが、どうにも見当がつかない。そのころはまだウヲールデンブック(辞書)というものがなく、かろうじて良沢が長崎から買ってきた簡単な小さな本が一冊あっただけなので、それをのぞいてみると、「フルヘッヘンド」の説明に、木の枝を切りとるとそのあとがフルヘッヘンドとなり、庭を掃除するとごみと土が集まってフルヘッヘンドする、と読めるようなことが書いてある。これはどういう意味だろうと、またいつものようにいろいろこじつけて考えあってみても、わからない。そのときわたしはふと思いついた。木の枝を切ったあとは切り口がなおれば堆(うずたか)くなるし、また掃除してごみが集まればこれも堆くなる。そして鼻は顔のまん中にあって高くもりあがっているものなのだから、「フルヘッヘンド」とは「堆くなる」という意味にちがいあるまい。だからこの言葉は「堆し」と訳してはどうかというと、一同はこれを聞いて、いかにもそうだ、「堆し」と訳せばぴったりだろうということで、話がきまった。そのときのうれしさはたとえようもないほどだった。世にも貴い宝物、いわゆる「連城の玉」を手に入れたかのようなうれしさであった。

 こんなふうに、あれこれと推測しては訳語をきめていったのである。そしてその数もしだいにふえていって、良沢が書きとめていた訳語の帳面を少しずつ増補してゆくことができたのであった。

杉田玄白 芳賀徹他訳『蘭学事始 ほか』中公クラシックス

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