ペスタロッチ年譜

ペスタロッチ年譜

長尾十三二 福田弘『ペスタロッチ』清水書院 を参考に作成。

一部、漢数字を算用数字に変更するなどした。


西暦年齢 年  譜 参考事項
1712  ルソー生まれる。
1724  カント生まれる。
1746 1.12、チューリッヒでペスタロッチ誕生。 
17493 ゲーテ誕生。
17515父ヨーハン=バプティスト病死。ディドロ・ダランベールら、『百科全書』第一巻刊行。
  初等学校に入学 
17548ラテン語学校(スコラ-アバサティーナ)に入学。 
175711ラテン語学校(スコラ-カロリーナ)に転学。 
176115高等学校(コレギウム-フマニタティス)に入学。 
176216 ルソー、『エミール』『社会契約論』
   フィヒテ生まれる。
176317カール大学(コレギウム-カロリヌム、現チューリッヒ大学の前身)に入学。哲学・文献学を履修。 
176418ゲルベ-ヘルヴェーチア協会の会員になる。 
176519大学を中退。 
176721畏友メナルク(ブルンチュリ)病死 
  アンナ=シュルテスに求婚。 
  「農民会話」事件で禁固。J・R・チッフェリのもとに農業技術の修得のため弟子入り。 
176923アールガウ州ミュリゲンに移住し、農場経営に着手。 
  9.30、アンナ=シュテルスと結婚。 
1770248.13、息子ハンス=ヤーコブ誕生(愛称ヤッケリ)。ベートーヴェン生まれる。
177125ノイホーフの新居に転居。ビルフェルトの農場経営に失敗の徴候現れる。 
177428農場経営破綻。ノイホーフに貧民学校を開設。バゼドウ、デッサウに汎愛学舎を開設。
177529 アメリカ独立戦争開始。
177630 アメリカ独立宣言。
   アダム=スミス、『国富論』
177731イーゼリンの「エフェメリデン」誌に「ノイホーフ便り」を発表 
177933 ゲーテ、ワイマールの枢密顧問官に就任。
178034貧民学校閉鎖。ザルツマン、『蟹の小本』
  5月、「エフェメリデン」誌に「隠者の夕暮」を発表 
178135『リーンハルトとゲルトルート』第一部刊行。文学者ペスタロッチの誕生。カント、『純粋理性批判』
178236『私の祖都市の自由について』を部分的に刊行。『クリストフとエルゼ』(副題『民衆のためのわたしの第二の書』)を刊行。「スイス週報」を刊行。
178337『リーンハルトとゲルトルート』第二部刊行。『律法と子供殺し』を刊行(執筆は80年)。 
178438 ザルツマン、シュネッペンタールに学校開設。
178539『リーンハルトとゲルトルート』第三部刊行。 
178741『リーンハルトとゲルトルート』第四部刊行。寛政の改革。
1787842 カント、『実践理性批判』
178943 フランス革命、人権宣言。
179044『リーンハルトとゲルトルート』の改訂版を刊行。カント、『判断力批判』
1792468.26、フランス革命政府により、ワシントン、クロプシュトックらと共にフランス名誉市民の称号を与えられる。 
179347革命論文「然りか否か」を執筆フランスで恐怖政治
   第一回対仏大同盟。
179448フィヒテと会談。 
  「シュテーファー村民運動の犠牲者のために」「馬鈴薯栽培を訴える」などを執筆。 
179549「チューリッヒ湖畔の自由の友へ」を執筆。シラー、『美的教育論』
179751『人類の発展における自然の歩みに関するわたしの探究』を執筆 
  孫のゴットリープ誕生。 
179852「ヘルヴェーチア国民へ」「わが祖国に告げる」「目覚めよ、国民」などの政治的パンフレットを執筆スイス革命。
  「ヘルヴェーチア国民新聞」編集長となる。 
  12.7、シュタンス孤児院長に着任。 
1799536.8、孤児院閉鎖される。グルニゲルで保養。ナポレオンのクーデタ(ブリュメール18日)。
  「シュタンス便り」を執筆。 
  ブルクドルフの小作人学校の教師となる。 
  7.23、マーガレット=シュテーリ女史の学校の教師となり、教授法の実験を継続。 
  ブルクドルフ城に移り、教育を実践。 
180054ヘルマン=クリュージ、ペスタロッチの最初の助手となる。 
  シュタッパー文相、ペスタロッチ援助のための「教育制度の友の会」を設立。 
  論文「メトーデ」を執筆 
  ブルクドルフ城に教員養成所開設の広告を出す。 
180155『ゲルトルート児童教育法』を刊行。 
  息子ヤーコプ死去。 
180256チューリッヒ、エメンタール、キルヒベルクを代表して、憲法制定懐疑代議員としてパリ滞在。ヘルバルト、『ペスタロッチの最近の著書「ゲルトルート児童教育法」について三人の婦人に与える書』など
  「ヘルヴェーチア立法について」「メトーデの本質と目的「わが時代に訴える」を発表」 
180458ヘルヴェーチア共和国、崩壊。ベルン政府の決議により、ペスタロッチ学園、ミュンヘンブッフゼーに移転。イヴェルドンに学園の分校開設ナポレオン、皇帝となる。
   ヘルバルト、『世界の美的表現について』
   ライン同盟結成
180559ミュンヘンブッフゼーの学園を放棄神聖ローマ帝国、解体。
180660イヴェルドンに女子学園を開設ティルジットの和議
180761 フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』
180862柩を前に新年講演を行う。ゲーテ、『ファウスト』第一部。
  フレーベル、生徒を伴ってイヴェルドン学園に住み込む(~10)
180963『レンツブルク講演』公刊。 
181064ヨゼフ=シュミット、学園を去る。 
181266 ナポレオン、ロシア遠征。
181367女子学園をロゼッテ=カストホーファーに譲渡。 
181468 ナポレオン退位、エルバ島へ。
   ウィーン会議(~15)。
181569『純真な人々へ』を刊行。ナポレオン、セント-ヘレナへ流される。
  シュミット、学園に戻る。妻アンナ死去。神聖同盟締結。
181670教師間に新たな闘争。16名の教師去り、学園、衰退。 
181771ニーデラーとの紛争開始。 
181872イヴェルドン近郊のクランディに貧民学校を開設。マルクス生まれる。
181973クランディの施設、イヴェルドン学園に併合。 
182074 エンゲルス生まれる。
182478ニーデラーとの訴訟問題、決着。シュミット、ヴォー州より追放処分となる。 
182579学園を放棄し、ノイホーフに戻る。ヘルヴェーチア協会の会長に選出される。 
182680『ブルクドルフとイヴェルドンにおける教育施設の校長としてのわたしの生涯の運命』『白鳥の歌』刊行。フレーベル、『人間の教育』
1827812.17、ブルックにて死去。 
長尾十三二 福田弘『ペスタロッチ』清水書院

ペスタロッチ (Century Books―人と思想)

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