ミイラ取り

ミイラ取り

 「ミイラ」ということばは、戦国時代に宣教師がもたらしたポルトガル語である。

 そのもとをたどればアラビア語の「モル」、さらにさかのぼるとセム語に発するのだそうだ。

 ただし、アラビア語の mor(あるいはmorr)にせよポルトガル語の mirra にせよ、これは保存遺体を作るのに使う薬剤の名称である。アラビアやアフリカ方面にはえるカンラン科の植物の樹脂から製するものであるよし(漢語では没薬と言う。「没」は mor の音訳)。

 ところがそれを日本人は、その薬を用いた保存死体の意味にうけとっちゃった。ことばと、それがさすものがくいちがったわけである。ために話がややこしくなった。

 百科事典にこうある。

<南蛮人が日本に渡来するようになると、十六世紀の終りころからエジプトのミイラが日本に輸入され、薬用として歓迎された。十七世紀の後期(延宝、天和、元祿ころ)にはミイラ薬効説は爆発的で、万病にきくとして、上は大名から下は庶民に至るまで使わぬ者はいないくらいであった。>

 うっかりこれを読むと、まるで南蛮人がエジプトの王様のミイラを盗み出して日本へかつぎこんだみたいだが、そうじゃない。カンラン樹脂の薬をもたらしたのだ。

 ところが話がゴッチャになっているものだから、日本人はそれを、大昔の異人の死体から取り出した薬と思って信仰したのである。日置昌一『話の大辞典』にひく元祿期の笑話本に、ある人が薬屋にちかごろのミイラはにせものが多いそうなと言えば薬屋腹を立て、ほんものの証拠に当店のは人がたちのまま売っておりますと答えた、とある。

 なお支那人はそんな変なとりちがえはしてない。明代の医薬書『本草綱目』(日本の織田信長のころに出た)に没薬の項があるが、橄欖に似た木の樹脂から作ると製法をしるし、薬効を説いてある。しごく冷静である。だいぶあちらの方が科学的だ。

高島俊男『キライなことば勢揃い』文春文庫

 「ミイラ」は外国語だが、「ミイラ取りがミイラになる」は純国産のことわざである。英語のこれにあたることわざは「羊の毛を取りに行って坊主になってもどる」(Go for wool and come home shorn)だそうだから全然ちがう。

 このことわざ、江戸時代なかばから文献に見える。できたのはもっと早い時期だろう。人をつれもどしに行ったやつがむこうで居坐ってしまうとか、人を説得しに行ったやつが逆に説得されてしまったとかの意に用いること諸賢先刻御承知の通りだが、どういうことからできたものなのかよくわからない。

 だいたい日本には「ミイラ取り」なんて商売はないし、そういう行為もない(世界にもあんまりありそうでないが)。かわったことわざである。

 江戸時代にはこう説明されていた。――ミイラというものは、酷熱の地の砂地でとれる。ミイラ取りは土で舟を作って車輪をとりつけ、水晶の屋根をかけて出かけてゆく(動力のことは書いてない)。ところが下がデコボコなので舟がひっくりかえると落ちた人間はたちまちカラカラのミイラになる、と。

 しかしこの説はどうも、先にことわざがあってそれを解釈するためにデッチあげたオハナシくさい。

 ようするにこのことわざの起源は不明である。おそらくそう深い因縁があるわけではなく、ミイラが霊薬でもうかるからにはそれを取りに行くやつがあるだろう、取りに行って自分がミイラになるやつもあるだろう、くらいのところから生まれたことわざなのではあるまいか。

高島俊男『キライなことば勢揃い』文春文庫