ヤギの前歯

ヤギの前歯

ヤギの前歯
骨が語る履歴

 遺体を見るとなれば、私は骨を逃さない。腐りかけの筋肉も、血の滴る内臓も、時には骨以上に興味深い真実を語ってくれるのだが、遺体に含まれるパーツの中でも、骨は一目置かれているというのが、研究の世界の常だ。実をいえば、遺体の中で骨がとりわけ重要視されるには、いくつかの理由がある。

 第一には、骨は現実にその動物の歴史をかなり正確に物語っているということがいえる。たとえば、前の章でタカオに登場してもらっているが、もう一度ここで、誰もがよく知る動物園の人気者、キリンを例にとってみる。首が極度に長くて一体何のなかまなのか分かりにくいと思うが、頭の骨を採集すれば、一目瞭然だ。誰にでも見える特徴として、上顎(じょうがく)を覗いてみよう。口の中の天上を斜めに見上げているのが、図3―1だ。動物の骨を一度も見たことのない読者にも、上顎に前歯が一本もないことが見てとれるだろう。

 学問的には歯は歯であって、あくまでも骨ではない。しかし、歯を生やす仕掛けは骨の側にあるから、前歯がないという事実は確実に骨の形に反映される。キリンと同様に上顎に前歯を持たない典型的な動物たちといえば、シカ科とウシ科をあげることができる。もちろん実際にはもっとたくさんの特徴を調べるわけだが、こうやっって、私たちはいま、キリンがシカ科やウシ科に近いなかまであることを客観的に知ることができている。首の長さはともかくとして、上顎の前歯がないことを見れば、キリンがシカ科やウシ科にかなり血縁の近い動物であることがしめされるのだ。

 いま血縁という熟語を遣ってみたが、遺体を見る学者はこういうとき「系統」という言葉を用いる。血縁というと、たかだか百年くらい前のご先祖様と、いま居る家族がどれくらい遺伝的に近いかという話になるだろう。だが、キリンとシカとウシがいつ分かれたかというテーマは、一千万年単位の地球の歴史を視野に入れて話さなくてはならない。こういうときは、系統といった方が正しい言葉遣いになる。しばし系統という言葉を用いるので、慣れ親しんでいただきたい。

 ここで遺体で系統を語るときの、私たちのプロ意識を話しておきたい。唐突だが、『となりのトトロ』なるアニメ作品のカットに、ヤギとされるウシ科動物が登場したことを取り上げよう。アップになったその動物は口元を軽く開くのだが、なぜか上顎にニョキッと前歯が覗く。リアリティを求めて映画を創ってきた人々からすれば、彼の作品群は最初から議論の対象にならないだろうが、解剖学者の私にとっても、酷評の矛先は、ウシ科とおぼしき造形に上顎の前歯を描いてしまう、その乏しい「形のセンス」にある。興行成績で世界を席巻する勢いのある宮崎駿のアニメーションであるが、骨の形を真剣に見ているプロフェッショナリティにとって、系統とは、アニメの作者が空想と虚構へ逃避することを許さないだけの重みを持つものだ。

遠藤秀紀『解剖男』講談社現代新書