ヤマネの話

ヤマネの話

  • ルイス・キャロル 福島正実訳『不思議の国のアリス』角川文庫

 「むかしむかし、小さな三人の姉妹がいました――」と、ヤマネは、ものすごい早さで話しはじめました。「姉妹の名前は、エルシーとレーシーとティリーでした。三人は、ある井戸の底に住んでいました――」

 「何を食べて暮らしていたの?」とアリスはいいました。どんなときでも、飲んだり食べたりすることには、非常な興味を持っていたからです。

 「糖蜜を食べてくらしていました」と、ヤマネ、一、二分考えてからいいました。

 「そんなことはないはずよ」とアリスは穏やかに注意しました。「だって、そんなものを食べたら病気になってしまうもの」

 「病気だったのです」と、ヤマネはいいました。「とても重い病気でした」

 アリスは、そんな風変わりな暮らしとは、いったいどんなものだろう、と想像してみようとしましたが、さっぱり見当もつかなかったので、またことばをつづけました。「でも、どうしてその姉妹は井戸の底なんかに住んでいたの?」

 「もっとお茶を飲みなよ」と、三月兎がアリスにひどく熱心にすすめました。

 「わたしはまだ何も飲んでいないわ」とアリスはかっとした口調でいいました。「だから、もっとは飲めないわよ」

 「あんたのいうのは、もっと少なくは飲めないという意味だろう」と、帽子屋がいいました。「ゼロよりもっと多く飲むのは、わけないじゃないか」

 「あんたの意見なんか、だれもきいてないわ」とアリスはいいました。

 「そうら。ひとのことをとやかくいっているのはだれだ?」と、帽子屋が、勝ち誇ったようにいいました。

 アリスは、これに何と答えていいかさっぱりわからなかったので、自分でお茶を少しつぎ、バタつきパンを取ると、ヤマネに向きなおって、さっきの質問をくり返しました。「その姉妹は、どうして井戸の底で暮らしていたの?」

 ヤマネはまた、一、二分かけて考えてから、いいました。「それは糖蜜の井戸だったのです」

 「そんなもの、ありゃしないわよ!」アリスは怒りだしました。でも帽子屋と三月兎とが「しーっ、しーっ!」といってとめました。ヤマネはふくれて「行儀よく聞いていられないんだったら、この話の後は、自分ですればいいだろう」

 「いいえ、どうぞ、先をつづけてちょうだい!」アリスはうんと下手に出ていいました。「もう二度とお話しのじゃまはしないわ。たぶん、そんなのもあるかもしれないわ」

 「そんなのとは何だい!」と、ヤマネが腹立たしげにいいました。けれども、先をつづけることは承知しました。「それで、この三人の姉妹は――みんな絵を描く(ドロー)のをならっていましたので――」

 「その人たちは、何の絵を描いて(ドロー)いたの?」と、アリスは、前の約束をすっかり忘れて、いいました。

 「糖蜜を汲んで(ドロー)いたのさ」と、ヤマネは、今度は何も考えずにいいました。

 「きれいなカップがほしい」と、帽子屋が言葉をはさみました。「一つずつ席を移ろうじゃないか」

 帽子屋はそういいながらもう席を移っていました。ヤマネがそのあとにつづき、三月兎がヤマネの席に、そしてアリスが、不承不承、三月兎の席につきました。帽子屋一人だけが、この引越しで得をしました。アリスは三月兎が金属皿の中へミルク入れを引っくり返したあとに移ったので、前よりずっと損をしました。

 アリスはヤマネを二度と怒らせたくなかったので、用心しいしい、いいはじめました。「でも、どうもわからないわ。その姉妹はどこから糖蜜を汲んで(ドロー)いたの?」

 「水の井戸からは水が汲める(ドロー)」と、帽子屋がいいました。「それなら、糖蜜の井戸から糖蜜を汲む(ドロー)ことぐらいできると思うがね――え、そうだろう、おばかさん?」

 「だけど、姉妹は井戸の中(イン・ザ・ウェル)にいたのよ」と、アリスは、最後のことばには気がつかないふりをして、ヤマネにいいました。

 「もちろん、そうだよ」と、ヤマネ。「ずっと深く(ウェル・イン)ね」

 この返事は、あわれなアリスをすっかり混乱させてしまったので、アリスはそれからしばらく、口をはさまずにヤマネがしゃべるにまかせていました。

 「姉妹は絵を描くのをならっていました」ヤマネはあくびをしたり、目をこすったりしながら先をつづけました。眠くてしかたなくなってきたのです。「そしていろいろなものを描きました――Mの字で始まるものは、みんなです」

 「なぜMの字のものなの?」と、アリスがいいました。

 「かまわないじゃないか!」と、三月兎がいいました。

 アリスは黙りました。

 この頃にはヤマネはもう目を閉じて、居眠りしかけていましたが、帽子屋につねられたので、ちいさな悲鳴をあげて目を覚まし、また先をつづけました。「――mの字で始まるもの、たとえばねずみ取り(mouthtrap)月(moon)記憶(memory)それからまあまあ(muchness)などです――ほら、よく物事が似たり寄ったり(much of the much)なんていうだろう?――まあまああの絵なんていうのは、見たことがあるかい?」

 「それはその、そう聞かれてみれば――」と、アリスは、すっかり頭が混乱してしまって、いいました。「そんなもの見たことは――」

 「それじゃ、あんたにはしゃべる資格はない」と帽子屋がいいました。

 この不作法ないい方には、もうアリスもがまんできませんでした。それで、すっかり愛想をつかして立ち上がると、その場を去りました。ヤマネはたちまち眠りこみ、ほかの二人は、どっちも、アリスが出て行くのを、少しも気にするふうはありませんでした。それでもアリスは、呼び止めてくれるのではないかと半ば期待しながら、一、二度後ろを振り返りました。最後に振り返ったときは、二人がヤマネをお茶のポットの中に押し込もうとしているのが見えました。

 「とにかく、あんなところには、二度と行かないから!」と、アリスは森の中をあてどなく歩きながらいいました。

 「あんなばかげたお茶の会にでたのは、生まれてはじめてだわ!」

ルイス・キャロル 福島正実訳『不思議の国のアリス』角川文庫