リチャード

リチャード

リチャード1世獅子心王(1189-1199)

Richard Ⅰ, the Loon hearted

     (or Cœur de Lion)

生年 1157年9月8日 オックスフォード

戴冠 1189年9月3日

没年 1199年4月6日 シャリュ

埋葬 フォンテブロール尼僧院

森護『英国王室史話』上巻 中公文庫 p81
■イングランドを留守にした

リチャード一世獅子心王

ロンドンを売っても良い

 リチャード一世はその在位一〇年の間、イングランドを訪ねたのはたった二回、その滞在も六か月そこそこで、五年間の十字軍遠征と、残りはフランスにおける領土維持の戦いに費やされて、イングランドの内政は放棄されたも同然という有様であった。偉大なる王と評された父ヘンリー二世による統治の充実は、当然のことながら逆戻りすることになったが、それにもかかわらず、サー・ウォルター・スコットの小説『アイヴァンホー』(一八二〇年作)に登場する覆面黒衣の騎士に代表されるように、きわめて通俗的な人気を集める不思議な国王である。加えて十字軍遠征を巡る莫大な出費を賄うため、既契約の支払いを反故にする手段として、玉璽(グレイト・シール)を改訂したが、その改訂が歴代イングランド王の紋章として、今に続くそもそもの始まりになるというから、何が賢王であり愚王であるのか、史書を疑いたくなるほどの存在といえる。

森護『英国王室史話』上巻 中公文庫

リチャード一世獅子心王

騎士失格の愚行

 七月一日、リチャードの完勝に終わったアッコの占領は、多数のサラセン人を捕虜にした。その扱いを巡って、守備隊長は、捕虜の生命を保証して降伏条件の交渉に入っていたが、リチャードはその交渉もまとまらないうちに捕虜の処刑を命じ、余りにも大量の処刑は、その後サラセンの母親たちが、「リチャードが来るよ」と一声叫ぶだけで、子供たちが大人しくなったといわれるほどであった。いまもパリの国立文書館に残る、「リチャードの処刑」と題する古画には、数えきれないサラセン人捕虜とその処刑の有様が刻明に描かれている。この一事をもってしても、リチャードを「騎士」などと呼ぶのはおよそふさわしくない。リチャード一世には「獅子心王(Cœur de Lion = Lion hearted)」という別称があるが、これは、彼の十字軍遠征当時の勇戦ぶりから付けられた名称という。しかし彼の戦い振りは、猛戦ではあったが、決して勇戦ではなかった。騎士が勇者として称えられるのは、戦う相手には勇猛果敢であると同時に、婦女子や弱者に対しては良き保護者であることによって勇者とされる。アッコの大量処刑は、まさに騎士失格の蛮行であった。

森護『英国王室史話』上巻 中公文庫 p85-86

リチャード一世獅子心王

騎士失格の愚行

 もう一つの愚行は、同じくアッコでの事である。アッコの大勝はリチャード軍の精鋭によるものであったが、その一番乗りはレオポルド五世の率いるオーストリア軍であり、既にアッコの町の随処にそれを誇示するように、オーストリア公の旗が翻っていた。これを見たリチャードは、直ちにオーストリア公の旗を撤去させて自分の旗に変え、あまつさえオーストリア公の旗を踏みにじったという。

森護『英国王室史話』上巻 中公文庫 p86
英国王室史話〈上〉 (中公文庫)

英国王室史話〈上〉 (中公文庫)



イギリス王リチャード一世

 このような奇計は、しかしながら、そうそう繰り返せるものではない。サラディン軍が敵の締めつけを緩めることができないと、アッカの降伏は目に見えている。ところで、月日が経つにつれ、第二のヒッティーンとなるべきムスリムの勝利の機会はますます遠ざかり、一方西洋からの戦士の波は干上がるどころか高まるばかりで、一一九一年四月には、フランス王フィリップ二世が部隊とともにアッカの近郊に上陸、次いで六月初めには、イギリス王リチャード獅子心王が続いた。


 このイギリス王(マリク・アル=インキタル)は(とバハーウッディーンは語る)、勇敢、精力的、かつ戦闘では剛胆な男であった。地位からいえばフランス王より低かったが、ずっと裕福で、戦士としてはずっと高名だった。途中キプロスに寄ってこれを奪い、人員と軍需品を満載した二五隻のガレオン船を率いてアッカの前面に姿を現すや、フランクは歓喜の叫びをあげ、大いに火を燃やしてその到着を祝った。一方ムスリム側といえば、このできごとで、彼らは急に気がくじけてしまう。


 三十三歳、イギリスの王冠をいただくこの赤毛の巨人は、けんか好きで軽薄な戦士の見本である。戦士はだれでも崇高な理想をかかげるものだが、彼の場合はそれよりも、度外れの粗暴性と、無節操とが前面に押し出されている。西洋人として、彼のもつ魅力、彼の申し分ない教祖性に打たれない者はいないのであるが、その一方でリチャード自身はサラディンに魅了され、到着するやすぐ彼に会おうとしている。

 リチャードはアル=アーディルに使者を送り、兄との会見をお膳立てするよう申し入れた。しかしスルタンは一瞬のためらいもなく答える。「王たるものは協定の締結後に初めて顔を会わせるものだ。ひとたび互いに知り、ともに食事をしたら、戦争するなど思いも及ばなくなってしまう」。

 しかし彼は、互いに供の兵士を侍らすという条件で、弟がリチャードに会うことを許した。こうして折衝は重ねられるわけだが、大きな収穫には至らない。バハーウッディーンの説明では、〈実際のところ、使者を差し向けるフランクの意図は、とくにわが方の利点・欠点を知ることにあり、これを迎えるわが方も、まさに同じ目的をもっていた〉。リチャードはエルサレムの征服者と真実会いたいと思っていても、交渉のためだけで中東に来たわけではないのである。

アミン・マアルーフ『アラブが見た十字軍』ちくま学芸文庫 p361-
アラブが見た十字軍 (ちくま学芸文庫)

アラブが見た十字軍 (ちくま学芸文庫)