ロードス島

ロードス島

三三 法螺吹

 国ではいつも、もっと男らしくやれ、とケチをつけられていた五種競技の選手が、ある時海外遠征に出て、暫くぶりで戻ってくると、大言壮語して、あちこちの国で勇名をはせたが、殊にロドス島では、オリンピア競技祭の優勝者でさえ届かぬ程のジャンプをしてやった、と語った。 もしもロドスへ出かけることがあれば、競技場に居合わせた人が証人になってくれよう、とつけ加えるとその場の一人が遮って言うには、

 「おい、そこの兄さん、それが本当なら、証人はいらない。 ここがロドスだ、さあ跳んでみろ」

 事実による証明が手近にある時には、言葉は要らない、ということをこの話は説き明かしている。

中務哲郎訳『イソップ寓話集』岩波文庫
イソップ寓話集 (岩波文庫)

イソップ寓話集 (岩波文庫)


 一八世紀の革命である市民革命は、成功につぐ成功へと迅速に突進して、その劇的効果を競いあい、人間も物もダイヤモンドに囲まれたように輝き、恍惚が日々の精神となる。しかし、それは長くもたず、すぐにその絶頂に達し、社会は、その疾風怒濤時代の成果をしらふで修得するより前に、長い二日酔いに襲われる。それに対して、十九世紀の革命であるプロレタリア革命は、たえす自分自身を批判し、自分で進みながら絶え間なく中断し、成就されたと見えるものに立ち戻って改めてやり直し、最初の試みの中途半端さ、弱さ、みすぼらしさを情け容赦なく徹底的に嘲笑するのであり、ただ敵が新しい力を大地から吸い上げて前よりも巨大になって再び立ち上がって向かってくるようにするためにだけ、敵を投げ倒すにすぎないように見えるし、自分自身の目的の漠然とした途方もなさに改めてしりごみするのだが、それも、引き返すことがいっさい不可能になる状況が創り出され、諸関係全体がこう叫ぶまでのことである。


  ここがロードス島だ、ここで跳べ

  ここにバラがある、ここで踊れ!*1

カール・マルクス 植村邦彦訳『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』平凡社ライブラリ p22
ブリュメール18日 (平凡社ライブラリー)

ブリュメール18日 (平凡社ライブラリー)

*1:「ここがロードス島だ」は、イソップ(アイソーポス)の寓話二〇三「ほら吹きの旅人」の中で、ロードス島ではもっとすごい跳躍をしたことがあるし証人もいる、と主張する旅人に向かって言われた言葉。「ここにバラがある」は、ヘーゲルが『法哲学』序文に洒落として書いたもので、ギリシア語のロードスをロドン(バラ)と読み替え、ラテン語のサルタ(跳べ、踊れ)を「踊れ」と訳したもの(藤野渉・赤澤正敏訳『世界の名著35 ヘーゲル』中央公論社、一九六七年、一七二頁)。ヘーゲルの場合には、これは、理性(喜びのしるしであるバラ)認識によって現実と和解することを意味する。

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