中山みき 年表

中山みき 年表

中山みき 年表

西暦年号おもな事項
1798寛政1014-18 みき、大和国山辺郡西三昧田村前川半七正信・きぬの長女として誕生
1810文化7139- 山辺郡庄屋敷村中村善兵衛と結婚
1814  1117この年、黒住宗忠により黒住教開教
1816  13193- 勾田村善福寺で五重相伝を受ける
1818文政元21このころ女衆かの、みきに毒を飲ませたと伝えられている
1828  1131この年、あずかった隣家の子が黒疱瘡に罹り、神仏に祈願して必死に平癒を願う
1837天保84010- 長男秀司、足痛に襲われ修験者に祈祷依頼
1838  94110- 長男の足痛に加え善兵衛の眼痛、みきの腰痛がかさなり修験者を呼ぶ。加持台の女性不在のため、みきが代役をつとめ、神がかりとなる。10-26 憑依した神の要請に従い教祖「神のやしろ」に定まる(立教)
1840  1143このころ「貧に落ち切れ」との神命に従い、家財などを人びとにほどこす
1853嘉永656この年、中山家の母屋を取り払う。五女こかん浪速の道頓堀で「天理王命」の神名を流す。夫善兵衛没(66歳)
1854安政元57この年、三女はるに、はじめて「をびや許し」をほどこす
1855  258この年、残った田地3町歩余りを入質して施しを行い、以後約10年間どん底生活を送る
1859  662この年、金光大神により金光教立教
1863文久366このころ、「講」を結ぶことを督励
1864文治元675- 飯降伊蔵入信。10- 大和神社の前で、信者らおつとめをし神社側のとがめを受ける(大和神社事件)。12- おつとめ場所落成
1865慶応元6810- 針ヶ別所村に赴き異説を唱える信者を説諭
1866  269秋ごろ、小泉村不動院の山伏、論難に来て乱暴。同じころ、「あしきをはらうてたすけたまへ……」の歌(「みかぐらうた」第1節)と手振りを教える
1867  370正月から8月にかけて「みかぐらうた」十二下り(第5節)の歌と手振りを教える。8- ええじゃないか運動起こる。11- 大政奉還。12- 王政復古を宣言。この年、秀司、神道の吉田家に公認出願、認可
1868 明治元713- キリシタン耶蘇門禁制の高札。3- 神仏判然令、以後、廃仏毀釈運動起こる。4- 神祇官再興
1869  2721- 「おふでさき」第1号執筆。以後1882年にかけて第17号まで執筆する。この年、秀司の内妻おちゑ、屋敷から出る。秀司、小東まつゑと結婚。
1870  3731- 大教宣布。この年、「ちよとはなし」(「みかぐらうた」第2節)、「よろづよ八首」(同第4節)を教える
1871明治4748- 神祇官廃止、神祇省設置
1872  5754- 教導職設置、教則三条公布。11- 大教院設立。この年、三女梶本はる没。こかん手助けのため梶本家に赴く
1873  6761- 梓巫、市子、憑祈祷、狐下げなどの所業禁止。2- キリシタン禁制の高札撤去。
1874  7776- 禁厭祈祷をもって医薬を妨げる者の取締令でる。10- 信者ら大和神社で神祇問答、その直後に石上神社の神職論難にくる。数日後、警官が神具没収。これより官憲の圧迫相継ぐ。12-23 教祖、山村御殿で社寺係の取調べを受ける
1875  7786- ぢば定め。9- 奈良県庁より教祖・秀司に呼出し、教祖留置される。9-27 こかん没。11- 信教の自由保障の口達。この年、「いちれつすましてかんろだい」の歌(「みかぐらうた」第3節)と手振りを教える
1876  979この年の中ごろ、秀司、蒸し風呂と宿屋の営業許可を受ける。神道黒住は、神道修成派、別派独立許可
1877  10801- 教部省廃止。内務省に社寺局設置。2- 西南戦争始まる。5- 御供のなかに毒物混入との嫌疑で、奈良警察署より秀司に召喚状。40日間の拘留と科料
1878  11814月ごろ、秀司を講元として「真明講」結成
1880  1383この年、眞之亮(15歳)中山家に移り翌年9月入籍。秀司、金剛山地福寺真言協会と交渉し、傘下の転輪王講社結成
1881  14844- 秀司没(61歳)。この年、「こふき」をつくれとの命により高弟ら教祖の話を記す
1882  15851- 神官教導職兼補廃止。5- 神宮、大社、扶桑、実行、大成、神習の神道各派独立許可。5- 2段までできていた「かんろだい」の石が奈良警察に没収される。6- 神道御嶽派独立許可。10- 奈良警察、教祖と高弟らを召喚。教祖12日間の拘留。11- 蒸風呂と宿屋廃業。12- 転輪王講社解散
1883  16868- 村人の懇望により雨乞いつとめ。直後に警官きて一同を拘引。同夜教祖を引致、科料
1884  17878- 神仏教導職廃止。この年、大阪の信者らにより「天理教会本部」設立運動。おぢばに「天輪教会創立事務所」設置
1885  18884- 「天理教会結収御願」を大阪府知事に提出、却下。5- 眞之亮ら10人、神道本局より教導職試補に任ぜられる。神道本局直轄6等教会設置許可
1886  19892- 信者らが村内の旅館で「てをどり」のつとめをしたかどにより教祖・眞之亮ら櫟本分署に引致され、教祖は12日間拘留される(最後のご苦労)。12- 眞之亮、神道本局より中講義補命、天理教会長となる
1887  20902-18 みき90年の生涯をおえる
小澤浩『中山みき』山川出版社 日本史リブレット人