中秋

中秋

幽蘭居士東京夢華録 巻八

中秋

 中秋節の前に、もろもろの酒店はみな新酒*1を売る。店の表に綵楼(アーチ)を新しく組み立て、色を塗った竿の先に花飾りを付け*2、酔仙*3の絵を描いた錦の酒ばやしを立てる。町の人は争って飲みにゆく。昼過ぎごろになって、どの店も酒がなくなると、看板を下ろす。

 このころ蟹の初物が出る。石榴・榲勃(マルメロ)・梨・棗・栗・葡萄や色づき始めた*4橙橘(みかん)もみな初物が出る。

 中秋の夜には、高貴の家ではあずまやを飾り立て、庶民は争って酒楼に席を設けて月見をやり、管弦の音が沸きたつ。宮城の近辺の住民は、夜が更けると、遥かに笛の音が聞こえてきて、天上にいるような気分になる。町々の子供たちは夜っぴて遊びふけり、夜の町の賑わいは夜明けまで続く。

孟元老著 入矢義高・梅原郁訳注『東京夢華録』東洋文庫598 平凡社

中秋*5


 八月十五日は中秋節。この日は秋三カ月のちょうど真中にあたるから中秋という。この夜、月の色はいつもに倍して明るく、このため月夕*6とも呼ぶ。折しも黄金(あき)の風は爽やかに流れ、玉の露は涼しさをかもし、丹桂(もくせい)はかぐわしき香りを漂わせ、銀色の月の光はあたりに満ちわたる。皇族の若殿ばら、富裕な家々ではみな高い楼台に上って月を眺め、あるいは広い榭(うてな)いっぱいに宴席を設け、琴瑟(こと)の清らかな音を響かせ、酒を酌み高歌し、一夕の懽(よろこび)を尽くさぬものはいない。町の商家でも、小さな月見台にのぼり、家族たちの宴をしつらえ、子女と団欒して中秋の佳き日をおくる。露地奥の貧しい人たちとて、衣服を質において酒を買い、無理しても歓楽を迎え、何もしないですごさずにはすまさない。この夜の大通りの商売は、五鼓までずっと続き、月を賞翫する遊客は繁華街にあふれ、暁方まで絶えない。それというのも、金吾(けいさつ)*7がそれを止めぬからである。

呉自牧 梅原郁訳注『夢粱録』1 東洋文庫674 平凡社

*1:宋代の酒については、篠田統『中国食物史』一五〇ページ以下、および一七七ページ参照。南宋では煮酒の口切りは四月初め、清酒のそれは九月初めに行われた。

*2:青木正児「望子考」には、この句を引いて「新酒の瓶を積み重ね、糸を網の目に結んだもので瓶を飾ること」(『支那文芸学術考』〔『全集』第二巻所収〕)と注釈してある。

*3:元代の戯曲「酷寒亭」にも、市中の売店が、「酔仙を高く掛け」ていることを述べている。やはりそれを画いた(あるいは、刺繍した――青木上掲書)幟(のぼり)を酒ばやしとして高く竿の先に掛けたのである。また、同じく元代の「生金閣」劇には、田舎の居酒屋を叙して「酔八仙を壁上に画く」といっており、『水滸伝』四回にも「牛屎の泥牆(どろかべ)に酒仙を画」いた村酒屋のことが出ているから、田舎ではこれを塀に画いて看板としていたらしい。ただし、ここの「酔仙」がいかなる人物であるかは未詳。前例の「酔八仙」は元代のそれだからここのとは関係ないが、もしここの酔仙を八人とすれば、『太平広記』巻二一四に引く「野人閒話」に挙げる李己・容成・董仲舒・張道陵・厳君平・李八百・范長寿・葛永王貴の八人であろうか(『茅亭客話』と『図画見聞誌』も同じ)。詳しくは『通俗編』巻二〇の「八仙」の条参照。ここの「酔仙」を一人と見て、「酔中の仙」を自称した李白に当てるわけにもいかない。

*4:原文「弄色」。『歳事広記』巻三一の引用には、この二字がない。

*5:『東』巻八の「中秋」、あるいは『武』巻三の「中秋」のいずれともほとんど重ならない。

*6:二月十五日の花朝節に対するものが八月十五日の中秋節で、唐代以後両方をあわせて花朝月夕という言葉が生まれた。『旧唐書』巻一八一の羅威伝、馬令『南唐書』の昭恵周后伝などに用例がある。

*7:正式には金吾街仗司、本来は国都警備隊のことではあるが、この場合は城内パトロールの警察を指す(『咸淳志』巻十四参照)。