今は読みません

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5 アメリカ人はなぜ竜がこわいか

 ではなぜ、アメリカ人は竜がこわいのでしょうか。

 その答えを考えてみるまえにまず、竜をこわがるのはなにもアメリカ人だけとはかぎらぬということを申しあげておかなくてはなりません。科学技術的に高水準な国の人々は、ほぼ例外なく、多少とも反(アンチ)ファンタジーの傾向があるのではないか、と思います。わが国のように、過去数百年来、自国文学にアダルト・ファンタジーの伝統がなかったところもあります。たとえばフランスがそうです。かと思えばドイツのようにゆたかな伝統を誇り、またイギリスのように伝統をもち、これを慈しみ、ひときわすぐれた成果をあげてきた国もあります。ですから、竜をおそれるというのは、いちがいに西欧世界の、あるいは科学技術水準ゆえの現象ではないようです。しかし、ここではこうしした広範な歴史的問題には立ち入りますまい。わたしがよく知りもし、それゆえお話しすることの出来る唯一の人々――現代のアメリカ人について語ろうと思います。

 アメリカ人はなぜ竜がこわいのかと考えているうち、わたしは、非常に多くのアメリカ人がひとりファンタジーのみならずフィクション全般に対して否定的であることに気がつきました。わたしたちには国民的に、イマジネーションの産物をうさんくさげな、もしくは軽蔑の目で見下す傾向があるようです。

「家内は小説も読みますがね。わたしはひまがないもので」

「十代のころはSFとやらも読んだものですよ。もちろん、今は読みませんが」

「おとぎ話ってのはガキの読むもんでしょう。わたしは現実の世界に生きているんだ」

 こんなことを言うのは誰でしょう。『戦争と平和』を、『タイム・マシン』を、『真夏の夜の夢』を、こうも自信満々に切り捨ててしまえるとは、いったいどういう人たちなのでしょう。それは世間一般の人々――三十すぎの勤勉なるアメリカの男たち、その手でこの国を動かしている、そんな男たちではないかと思うのです。

 フィクション全般を拒絶するこうした態度は、俗に言うアメリカ人気質――わたしたちのピューリタニズム、勤労精神、功利的傾向、さらには男性観女性観に一脈通じるところがあります。『戦争と平和』や『指輪物語』を読むのは、明らかに”仕事”ではありません。たのしみのために読むのですよね。ところが、”教育的”であるとか”自己向上に役立つ”との大義名分がないかぎり、ピューリタン的価値観では、それは自己陶酔ないし逃避にすぎないとされてしまいます。ピューリタン式に言えば、たのしみは価値ではない、それどころか罪だからです。

ル=グウィン著 山田和子他訳『夜の言葉』同時代ライブラリー 岩波書店