冬至

冬至

幽蘭居士東京夢華録 巻八

冬至*1

 十一月の冬至。都ではこの冬至節が最も重んぜられ、極貧のものでも、一年の間に貯蓄し、やりくりして、この日になると、新しい着物に替え、御馳走を用意して、先祖を祭るのである。お上からは関撲(かけもの)が差し許される。たがいに訪問祝賀しあうことは、元旦と全く同様である。*2

孟元老『東京夢華録』東洋文庫 平凡社

十一月 冬至*3


 十一月は冬の中ほど、ちょうど小雪、大雪の時候にあたる。いったい、都杭州の風習や、とり行なわれる儀式は、四方でそれを手本として真似る。とりわけ冬至の歳節は士人・庶民が重視するところである。お歳暮の贈答、杯を交わす慶賀、ご先祖の祭享など、いつもの季節より丁寧にする*4

 当日、鶏の鳴く早朝、太史は雲気を観望して休祥を占う*5。一陽(とうじ)*6の後、日晷(ひあし)は少しずつのび、冬月の最初にくらべると、一線の功をを添える*7。杜甫の詩*8に、


  愁日 愁随い 一線長し


 というのは、まさしくこの意味である。この日、宰臣以下は朝賀の礼を行ない、士人・庶民たちは、こもごも慶賀しあう。太廟では薦黍の儀式がとり行なわれ、朝廷からは宰執に命じて圜丘で祭祀*9を挙行せしめられる。政府では公私の家賃*10を三日間免除してやる。車馬が攢宮にさしつかわされ、朝享(おまつり)がなされる。

呉自牧『夢梁録』東洋文庫 平凡社

*1:この一章は『歳時広記』巻三八に引用されていて、全く同文である。『野客叢書』巻一六、「大節七日假」の条にいう、「隋唐いらい宋まで、都では冬至・元旦・寒食を大節とし、公休は七日。節の前三日と節の後四日で、前三後四と呼ばれた。」なお『慶元条法事類』巻一一の仮寧格では当日と前後二日を加えて五日としている。

*2:この風習は今日も残っており、「拝冬」という。『清嘉録』巻一一には、これが前漢以来の習わしであることを考証している。

*3:『東』は巻一〇に「冬至」の項を立てる。この節季を重んずる記事はあるが、内容的にはほとんど重ならない。また『武』巻三にも、生彩のある冬至の記事がみえるが、本条の雑多な羅列項目とは必ずしも一致しない。

*4:この一文の上下に、「士庶所重」の四字が重複してあらわれる。一方を衍文とみて省く。

*5:『周礼』春官、「保章氏の職掌、五雲之物を以って、吉凶を弁ず」の注に、鄭司農は二至二分を以って、雲の五色を観る」とあり、青は虫、白は喪、赤は兵荒、黒は水、黄は豊の兆という。

*6:一陽は『易経』復の卦と関係する。純陰十月の坤の卦の一番下に一陽が入って、復となる。すなわち一陽来復で、剥落しかけた道が再び通ずる意。転じて冬至の別名ともなる。

*7:日あしの目盛りがのびる形容。『歳時広記』の引く『歳時記』に、「晋魏の間、宮中紅線を以って、日影を量る。冬至の後日に長さ一線を添う」とある。

*8:『分門集註杜工部詩』では、巻三に「至日遣興云々二首」としてのっている。

*9:これは『礼記』月令の昊天上帝を圜丘に祀る記事に由来し、五帝方と日月星辰を天壇に祀るのだが、南郊の郊祀とは別。

*10:原文は「僦金」だが、これまで何回か出てきた僦屋銭もしくは僦賃の意味。

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