86  ――臨済録――

」とは、ただ大声でどなることであって、よくいわれるように、必ず「クヮーッ」と発声するとは限らない。一のところに自己の悟境をそっくり体現する禅者の全体作用(さゆう)(身ぐるみ宇宙一杯の働き)である。ある小僧が大僧(一人前の僧)たちのように禅問答がやりたくて、大僧にきくと、「正当(しょうとう)恁麼(いんも)の時作麼生(そもさん)」と問うて和尚が何か答えたら、かまわず「クヮーッ」と一せよと教わった。しかし恁麼(此の如し、の意の俗語)が憶えにくいので、ナマイモと憶えておくことにした。いよいよ法堂(はっとう)に出て、和尚の前に立ったとき、つい、「ナマイモの時そもさん」とやってしまった。和尚は笑って、「煮てもよし焼いてもよし」と調子を合わせた。そこで小僧、「カアーッ」と黄色い声をはりあげた。和尚は当意即妙、「小僧よ、えぐいか」といったので、満堂どっと笑った。洞門近世の高徳黄泉(こうせん)にこんな実話がある。ある僧が、「久しく黄泉と嚮(ひび)く、これ麦香煎(香煎は穀類を煎って粉にしたもの)かこれ米香煎か」と問うと、和尚、「いずれなりや、舐めて知れ」と答えた。そこで僧が「クヮーッ」と一すると、和尚はいったものである、「おお、むせたか、むせたか」。

秋月龍珉『一日一禅』講談社学術文庫
一日一禅 (講談社学術文庫)

一日一禅 (講談社学術文庫)