壊血病

壊血病

第3章 舞台はととのった


 ネズミを食べた者たちは、意図せずして、怖ろしい病気である壊血病を防止することに協力していたことになる。トラファルガル海戦の時代は、なおも基本的な知識が発見されつつあった時代であった。世界の多くの部分が、まだちゃんと地図に描かれていないか、もしくは探検すら行われていない時代で、海軍の機関誌には、人魚が存在しているか否かといった問題についての元気のよい記事が掲載されるほどだった。そしてさまざまな科学理論が発達しつつあったものの、実際的な意味では、医学や医療の知識はいまだに二〇〇〇年前のローマ人が到達していたレベルを脱していなかった。

 当時は、壊血病防止に効き目のある方法が、ちょうど広く用いられはじめたころだった。それまで一〇〇年以上にわたって、この病気は長期航海に出る船乗りたちのあいだで猛威をふるっていた。海に出てから数か月、ときにはわずか数週間で、船乗りたちは壊血病の徴候をしめしはじめた。いちばんはじめは、脱力感である。体に力がはいらない、なんとなく体が不調だという訴えがはじまる。これに続いて、とくに脚や腕の毛包(毛根を包む袋状の上皮組織)のまわりから出血がある。また歯茎から出血し、歯がぐらぐらになり、息がとても臭くなる。これよりさらに病状が進むと、皮膚の上に大きな紫色の斑点が生じたあとで腫れ物がつぶれ、病人はまるっきり力を失い、自分で立つことはおろか、手足を上に上げることさえできない。軍艦にあっては何よりも怖ろしいことに、傷がいつまでもちゃんと癒えてくれず、古傷がまた口をひらき――骨折も完全に治りきっていないものは、またふたたび折れた。効き目のある治療を受けないと、壊血病の患者は最後には死んだ。そしてトラファルガル海戦のほんの数年前までは、実行のある治療法ははっきりと確定されていなかった。船乗りである程度の壊血病を病まなかった者はほとんどいない。ネルソンでさえ例外ではない。晩年のネルソンは口をとじたままでしか微笑むことができなかったように見える。これは、たぶん、壊血病のせいで歯が腐ってしまったからではなかろうか。

 七年戦争(一七五六年から一七六三年)のあいだ、イギリスはフランスおよびスペインを相手に戦った。この間に概算で約九万人のイギリス水兵が壊血病で死んだが、戦闘で命を落としたのはほぼ一五〇〇名にすぎなかった。試行錯誤の結果、壊血病は水兵に柑橘類のくだものをあたえることで予防でき、患者を治療できることが最終的に証明された。この発見が公式に承認されたのは、一七九五年になってからのことで、この年、毎日レモンないしはライムのジュースを支給すべきことが、すべてのイギリス鑑定に対して命じられた。「ライミー」がイギリス水兵の綽名として用いられるようになったのは、この命令に由来する。提督の中には、濃縮した果汁を用いたものもいた。貯蔵はこちらのほうが簡単だったが、効き目のほうはいまいちだった。ネルソンは自分自身の経験から、可能ならばかならず新鮮なレモンジュースを配下の艦艇に配った。そのため、レモンの供給が可能なときには、壊血病を病む乗組員はひとりもいなかった。

 壊血病を防止する手段は発見されても、それを引き起こす原因についてはいまだ謎のままだった。そして、佝僂(くる)病のような栄養失調に起因するその他の病気と同じように、海上だけでなく陸の上でも発生した。今日では壊血病にかかるのは人間、その他の霊長類の一部、モルモットに限られているということが知られている。これらの動物はグルコースと呼ばれる一種の糖類をアスコルビン酸塩という必須栄養素に転換する酵素を欠いているのである。人間においては、アスコルビン酸塩は食物から摂取されアスコルビン酸(ビタミンC)として血液中をめぐる。しかし食事のさいにアスコルビン酸塩が定期的に供給されないと、数週間のうちに血液中のアスコルビン酸の濃度がゼロになり、壊血病の症状が出てくる。海軍の軍医が治療法を発見すべく、数十年にわたってこの病気をつぶさに研究するあいだに、ひとつ発見されたことがあった。それは、しょっちゅうネズミを食べて腹のたしにしていた水兵は、配給されたものしか食べなかった水兵よりもはるかに壊血病にかかりにくいということだった。ネズミは摂取した食べものから、みずからアスコルビン酸を合成する。そのため、かならずしも適切とはいいがたいが、壊血病を防止する物質の供給源となっていたわけであった。

ロイ・アドキンズ『トラファルガル海戦物語』上 原書房 p64-
トラファルガル海戦物語〈上〉

トラファルガル海戦物語〈上〉

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