大和魂

大和魂

 苦沙弥先生の自信作(?)。本文を抜き出して紹介。

大和魂

 大和魂! と叫んで日本人が肺病やみのような咳をした

 大和魂! と新聞屋がいう。大和魂! と掏摸がいう。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。独逸で大和魂の芝居をする

 東郷大将が大和魂を有(も)っている。肴屋の銀さんも大和魂を有っている。詐欺師、山師、人殺しも大和魂を有っている

 大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五、六間行ってからエヘンという声が聞こえた

 三角なものが大和魂が、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示す如く魂である。魂であるから常にふらふらしている

 誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇った者がない。大和魂はそれ天狗の類か


 作品中では途中でまぜっかえしが入ります。

 主人は何と思ったか、ふいと立って書斎の方へ行ったがやがて一枚の半紙を持って出てくる。「東風君の御作も拝見したから、今度は僕が短文を読んで読者の御批評を願おう」と聊か本気の沙汰である。「天然居士の墓碑銘ならもう二、三遍拝聴したよ」「まあ、だまっていなさい。東風さん、これは決して得意のものではありませんが、ほんの座興ですから聴いて下さい」「是非伺がいましょう」「寒月君もついでに聞き給え」「ついででなくても聴きますよ。長い物じゃないでしょう」「僅々六十余字さ」と苦沙弥先生いよいよ手製の名文を読み始める。

 「大和魂! と叫んで日本人が肺病やみのような咳をした」

 「起し得て突兀(とつこつ)ですね」と寒月君がほめる。

 「大和魂! と新聞屋がいう。大和魂! と掏摸がいう。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。独逸で大和魂の芝居をする」

 「なるほどこりゃ天然居士以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返ってみせる。

 「東郷大将が大和魂を有(も)っている。肴屋の銀さんも大和魂を有っている。詐欺師、山師、人殺しも大和魂を有っている」

 「先生そこへ寒月も有っているとつけて下さい」

 「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五、六間行ってからエヘンという声が聞こえた」

 「その一句は大出来だ。君はなかなか文才があるね。それから次の句は」

 「三角なものが大和魂が、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示す如く魂である。魂であるから常にふらふらしている」

 「先生大分面白う御座いますが、ちと大和魂が多過ぎはしませんか」と東風君が注意する。「賛成」といったのは無論迷亭である。

 「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇った者がない。大和魂はそれ天狗の類か」

 主人は一結杳然というつもりで読み終ったが、さすがの名文もあまり短か過ぎるのと、主意がどこにあるのか分りかねるので、三人はまだあとがある事と思って待っている。いくら待っていても、うんとも、すんとも、いわないので、最後に寒月が「それぎりですか」と聞くと主人は軽(かろ)く「うん」と答えた。うんは少し気楽過ぎる。

夏目漱石『吾輩は猫である』岩波文庫 p242-
吾輩は猫である (岩波文庫)

吾輩は猫である (岩波文庫)

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