天台智顗略年表

天台智顗略年表

天台智顗略年表

田村芳朗梅原猛『絶対の真理(天台)』角川ソフィア文庫 より作成

絶対の真理「天台」―仏教の思想〈5〉 (角川文庫ソフィア)

絶対の真理「天台」―仏教の思想〈5〉 (角川文庫ソフィア)


西暦王朝年齢行跡事項
538梁/東魏・西魏湖南省(荊州)に智顗生まれる。俗性は陳 
554梁/西魏・北斉17この頃、両親が亡くなる西魏の南進、梁元帝は降伏し、親族全て捕虜となる
555西梁/西魏・北斉18智顗、出家。大賢山に赴く。 
   法華三部経『無量義経』『法華経』『観普賢経』を研究 
560西梁・陳/北周・北斉23大蘇山(河南省)に南岳慧思禅師をたずね、法華三昧を学ぶ 
567西梁・陳/北周・北斉30瓦官寺(金陵)に赴き『法華経』『大智度論』を講義。また『次第禅門』の講述、座禅指導を行う 
574西梁・陳/北周・北斉37 北周武帝による法難(仏教弾圧)
575西梁・陳/北周・北斉38天台山(浙江省)で11年におよぶ山上生活を始める 
578西梁・陳/北周・北斉41修禅寺(後世の禅林寺)を建てる楊堅、北周の大司馬となる
581西梁・陳/隋  文帝が即位し、隋建国
583西梁・陳/隋46章安大師灌頂(天台後継者)が弟子となる。『法界次第初門』『小止観』著述 
585西梁・陳/隋48陳の要請で金陵に戻り、光宅寺で『法華経』を講義 
587西梁・陳/隋50灌頂が筆録した『法華文句』成る西梁滅ぶ
58952戦乱を避けて廬山(江西省)に赴く隋が南北を統一
59154晋王広(楊広、のちの煬帝)の願いで揚州で菩薩戒を授ける。智者大師の号を受ける 
59255廬山に戻り、ついで南岳で慧思を偲ぶ。故郷の荊州に玉泉寺を建立。 
59356灌頂が『法華玄義』筆録 
59457灌頂が『摩訶止観』筆録 
59558晋王広に招かれて揚州で『浄名玄義』(『維摩経(浄名経)』の解説)を進呈
59760臨終 
600  晋王広が太子となる。仏像の破毀を禁ず