室号

室号

 むかしから、学者文人には勉強べやがある。人によって小さな一室もあり、堂々たる一棟であることもあるが、いずれにせよ書斎こそは学者の城であり、ここで一人勉強するのが至福の時である。

 この勉強べやに名前を付ける。その名を「室号」あるいは「室名」と言う。たいてい、へやもしくは建物を意味する、室、堂、斎、庵、亭、楼などの字がつく。洗心洞の「洞」も居室の意だが、ちょっと道士くさい。

 室号はまたしばしば自称のかわりになり、また他の人からの呼び名にもなる。わが国でも会沢正志斎や木村蒹葭堂などはもっぱら室号をもって称せられる。

 学者の随筆雑記の著には室号を冠したものが多い。宋の洪邁の容斎随筆、陸游の老学庵筆記、明の胡応麟の少室山房筆叢、清の紀昀の閲微草堂筆記、梁啓超の飲冰室文集等々枚挙にいとまない。これら一流学者とくらべるとガクンと格が落ちるか、蒲松齢の聊斎志異もそうである。大塩平八郎の洗心洞箚記もこの系列に属するわけだ。

 ちょっと変っているのは清の兪樾の茶香室叢鈔。この「茶香室」という優にやさしい室号は、兪樾の死んだ夫人の読書室の名なのである。夫人は生前、いつもこの茶香室で本を読んではノートをとっていた。その夫人に先立たれ、ついでむすこにも先立たれて年をとった兪樾は、いくらさびしくてもなにしろ学者だから勉強よりほかにたのしみを知らない。そこで夫人にならって本を読んではノートをつくり、まとめたのがこの茶香室叢鈔で、「だからこの本は、私の著書と言ってもよいし、死んだ妻の遺著と思っていただいてもよい」と序文に書いている。

 室号は自分でつけるものだから、その人の志趣のあらわれたものが多い。

 紀昀には読書のたのしさをのべた「閲微草堂」と題する詩があって、おしまいに「所以閉柴門、微言終日閲」(だから戸をしめきって、一日中むかしのすぐれた書物を読んでいるのさ)とある。微言は精深の言語。いかにも四庫の提要をつくった人らしい。

 清末の学者黄遵憲(外交官として日本に駐在した)の室号人境廬は陶淵明の「結廬在人境」をとったもの。そのあとの「而無車馬喧」に主眼がある。


 わが国の著名な室号をあげれば――

 佐藤一斎の愛日楼。一日一日を惜しんで勉強する意。大戴礼に「君子愛日以学」とある。

 曲亭馬琴の著作堂。実際、この部屋で大量の著作をものした。

 森鴎外の観潮楼。団子坂の家の二階書斎から品川の海が見えた。だから「観潮」だ。「楼」のつく室号は二階に勉強べやがあるのがふつうである。観潮楼の前、駒込千駄木町にいた時は千朶山房と言った。

 夏目漱石の勉強べや漱石山房は早稲田南町の自宅の十畳の板の間である。千朶山房も漱石山房もむろん山のなかではないが、俗塵を離れた意味で「山房」と称することはよくある。

 芥川龍之介の澄江堂。これは澄江という女にほれたのかとからかわれた。

 永井荷風の断腸亭、また偏奇館。「館」は西洋風である。

 前回、大塩平八郎の室号「洗心洞」、と書いたら、担当編集者の佐藤洋一郎が広辞苑あたりを見て、洗心洞は家塾の名と出ております、と疑義を呈してきたが、おなじことである。先生の書斎はすなわち門下生たちの教室だ。蘐園は荻生徂徠の室号であり、弟子たちにとっては学校であった。佐藤一斎も愛日楼で、渡辺崋山、佐久間象山等錚々たる学生たちを教えたのである。

高島俊男『イチレツランパン破裂して』文春文庫