宮崎市定先生

宮崎市定先生



 谷沢が賞讃してやまぬ宮崎市定というのは、まちがいなくきわめて独創的な東洋史学者で、私もその著書を愛読している。但、信奉はしていない。宮崎には、七六年に朝日新聞社から出版された大部の著作集成『アジア史論考』がある。この『アジア史論考』には、図式的な唯物史観論者を反論の余地がないまでにやっつけた論文が多く、本来なら谷沢がこれからもっと引用してもいいはずなのに、『アジア史論考』は読んでいないらしく、何の言及もない。『論語の新研究』に載っている話として、『古典の読み方』にP28とP70に二度も引用してある、谷沢永一のお気に入りの話も、『アジア史論考』の中では、宮崎市定はもうすこし長く述べている。が、まあ、そんなことはどうでもよかろう。問題なのは、宮崎市定というきわめて独創的な東洋史学者の、いわば余技ともいうべき『論語の新研究』に、こうも全面的に讃美・依拠し、その上に奇怪な町人哲学を築きあげていいのかどうかということである。

 宮崎市定の、『論語の新研究』は七四年に岩波書店から刊行された。これは題名どおり新研究で、内容は第一部歴史篇、第二部考証篇、第三部訳解篇(谷沢は、第一部が歴史・考証篇、第二部が現代語訳としているが、思いちがいだろう)で、東洋史学者宮崎市定の本来の面目は、第一部と第二部で発揮されている。それは、私も含めて素人が容喙できるようなものではない、なるほど書題通りの新研究だなと、しかるべき学問上の敬意を払いうるようなものである。

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 さて、問題の第三部(谷沢の言う第二部)訳解編だ。私が、宮崎市定の余技だと言い、谷沢永一(ひいては、山本七平)が「稀有の業績だということが実感できる」と賞揚する、現代語訳編だ。

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 学業と余技がくっついたようなクセのある『論語』が宮崎市定の『論語の新研究』なのである。そして、この程度のことは、宮崎の他の本を何冊か、他の人の『論語』解説書を何冊か読んでさえいれば、すぐわかることである。それこそ、宮崎の「学問に恐れ入る必要はない」。ははは宮崎先生やってますな、というだけのことなのだ。

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