政治算術

政治算術

 一七世紀の歴史学アプローチ法の一つ。グラントの研究にペティが「政治算術」と名づけました。

第二章 「成長パラノイア」の起源

政治算術」の成立

 一六世紀から一八世紀までの、ほんとうの人口の変動は、先にふれた家族復元法が出てくる一九六〇~七〇年代ごろになって、急速にわかるようになりますが、それまでは二〇世紀の歴史学でもわかりませんでした。長いあいだ、教会にある埋葬の記録と出生の記録からある程度の推定をおこなってきたのです。多くは、埋葬の数字をベースにして算出しますが、研究者によって係数が変わってきますから、高めに出す人、低めに出す人、推計値はいろいろありましたが、だいたいの傾向は同じでした。そういうことのはしりをグラントは、一七世紀におこなったのです。

 とはいえ、人口をなぜ勘定しないといけなかったのでしょうか。「人は力だ」、「人は財産だ」、という考え方が「政治算術」のベースにあったからです。ただし、人といっても、なかには大貴族のように莫大な収入のある人もいるし、物乞いで暮らす人もいます。自分で生活できない人は、国にとって財産ではなく、マイナスであり負担と考えられ、大貴族は莫大な収入があるから、国の財産だと考えられました。

 この大貴族に逃げられてしまうと、国としては、困ります。ですから、近世には、出国管理が厳重に行われます。いっぽうで、この時代には入国管理はほとんどおこなわれていません。人が入ってくるのは、富が入ってくることを意味したからです。これが出入国にかんする近世の基本的な考え方です。ともあれ、収入によって人間に値打ちをつけて、値打ちのある者が多い国は豊かだ、値打ちのない者が多い国は貧しいと考えます。それでも全体に人口そのものは財産だ、国の力だという考え方がありますので、そのベースとなる人口を、イギリス、、オランダ、フランス三つの国の間で比較します。そのうえで、たとえば、この三つの国が戦争を三年間おこなうと、それぞれの国はどうなるかということをシミュレイションする。それが「政治算術」というものです。そのはじまりがグラントでした。

川北稔『イギリス近代史講義』講談社現代新書

 近世、という感じがしますね。

 この「政治算術」から、「ペティの法則」が導き出されます。

第二章 「成長パラノイア」の起源

政治算術」の成立

 ヨーロッパ世界システムでは、相争う複数の主権国家が「中核」地域を構成しました。そのことと大きく関係しているのが、有名な「ペティの法則」です。計算をしてみると、一人当たりの国民所得は、オランダが圧倒的に高く、イギリス、フランスとつづく。人口は逆で、フランスがいちばん多くて、イギリス、オランダの順となる。オランダは一人当たりの所得が高い。だから、外国から人をよび、いろいろな仕事をさせることができる。

 彼が考えたのは、ひとつの国の国民経済については、フランスのように第一次産業をベースにしている国がいちばん平均所得、ひいては福祉の水準が低く、イギリスのように毛織物工業をベースにした第二次産業の国が二番目で、オランダのように、金融、サービス業、海運業が中心の国の水準が断然高くなるということです。国民経済は進歩するにつれ、そのように変化していくというのが「ペティの法則」です。

 これはペティが法則として考えたのではなくて、当時のオランダ、イギリス、フランスのつばぜりあいのなかで、現実の問題として考えた議論で、一種の現状分析であったわけですが、そこに未来予測がふくまれているのが面白いところです。と同時に、「金融と情報」の資本主義にこそ生きる道があるのだという「新自由主義」の立場と、「ものづくり」、すなわち、農業や工業など実物経済の重要性を主張する立場の対抗関係は、今日、ますます鋭くなりつつある問題でもあります。ペティにとっては、その問題はオランダ・イギリス・フランス三国の現状と近未来をどう理解するかということでもあったのです。

川北稔『イギリス近代史講義』講談社現代新書
イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)