文禄・慶長の役略年表

文禄・慶長の役略年表

中野等『文禄・慶長の役』戦争の日本史16 吉川弘文館 巻末の略年表をもとに作成

文禄・慶長の役 (戦争の日本史16)

文禄・慶長の役 (戦争の日本史16)

年代西暦中国・朝鮮半島での出来事日本での出来事
天正131585 7.11 秀吉、関白任官
   9.3 秀吉、一柳直末充ての書状において「唐国」征服を表明
天正141586 3 秀吉、イエズス会宣教師に明・朝鮮征服の意志を言明
   4.10 秀吉、毛利輝元充ての「覚」において「高麗御渡海の事」に言及
   6.16 秀吉、対馬宗氏に対し九州平定後、「高麗国」へ出兵する用意があることを告げる
天正151587 3.1 秀吉、島津氏征討を期して大阪を出陣
   5.8 島津義久、秀吉に降伏、その後筑前箱崎に凱旋
   6.15 秀吉、宗義調に対し、対馬一島を安堵し、朝鮮国王の参洛を要求
天正161588 7.8 いわゆる「海賊停止令」、「刀狩令」発令
   8.12 島津義久、琉球中山王に日本への来貢を促す
天正171589 3.28 秀吉、宗義智に対し、朝鮮国王の参内を重ねて要求
  9 朝鮮政府が日本への使節派遣を決定 
  11 日本への使節として正使に黄允吉、副使に金誠一が任命される 
天正1815903.6 朝鮮使節漢城発足、4月末釜山から渡海 
   7.5 小田原落城
   7.21 朝鮮使節、入京
   8.20 秀吉、小西行長・毛利吉成に「唐入り」の準備を命じる
   11.7 秀吉、朝鮮使節を引見
天正1915912 黄允吉、金誠一が復命、金誠一の「兵禍あらざる」の意見が容れらる 
   4 秀吉の征明計画が明国に伝えられる
   7.25 秀吉、ポルトガル領インド副王に書翰を送る
   8.21 秀吉、いわゆる「身分統制令」発令
   9.15 秀吉、フィリピン政庁に服属・入貢要求
   10.10 名護屋城の普請が開始される
   10.14 島津氏、琉球王国に対し「唐入り」の軍役負担を指示
   12.28 秀吉、関白職を秀次に譲る
天正201592 1.5 秀吉、陣立ての発令。往還筋へ掟・定の発令
   1.18 秀吉、小西の朝鮮派遣を伝える
   2.27 三月朔日の秀吉出陣予定が延期
   3.12 小西行長、対馬到着
   3.13 陣立書の発令。
   3.17 伊達政宗・上杉景勝、京都出立
  3.26 秀吉、京都出立
   4.7 朝鮮に派遣していた使者帰還。脇坂安治、対馬到着(3.13の軍令携行か?)
   4.12 小西行長ら、対馬出発 前田利家、名護屋着陣
   4上旬 上杉景勝、名護屋着陣
  4.17 加藤清正・黒田長政、朝鮮上陸 
   4.18 伊達政宗、博多着
   4.19 秀吉、小倉で小西進発の報を聞く。陣立を改変、同日夜、釜山陥落の報が伝わる
   4.25 秀吉、名護屋入営
   4.26 船の糾合。秀吉の渡海準備。掟・禁制の発令
   4.27 渡海奉行の陣容が変更
   4.28 太閤様御迎船の糾合のため、安国寺・寺沢正成渡海
  5.3 漢城陥落。宇喜多秀家、釜山上陸 
  5.7 玉浦沖の海戦。李舜臣、藤堂高虎らの船手衆を破る5.8 秀吉、御座所普請に関しより詳細な指示を発す
   5.16 漢城陥落の報が名護屋へ伝わる。
   5.18 秀吉、国家拡張計画を披瀝
  5.29 泗川の海戦。李舜臣、日本の船手衆を破る 
  5 朝鮮の諸将は八道分担案にしたがって、各地に移動し5月中に経略を開始 
  6.2 唐浦の海戦。李舜臣、日本の船手衆を破る6.2 秀吉、渡海延期を決定
  6.11 朝鮮国王、平壌を脱出6.15 梅北一揆
  6.16 小西勢ら平壌入城 
  6.21 明軍の先遣が義州に入り、明将祖承訓が遼陽を発足 
  6.22 朝鮮国王、義州に到着 
  7.9 全羅道錦山(梨峙)の戦い。九鬼嘉隆ら、朝鮮水軍を安骨浦に破る 
  7.16 明将祖承訓、平壌を攻め、大敗を喫す 
  7.17 加藤清正、摩天嶺を越え、海汀倉(城津付近)で朝鮮軍を破る7.21 秀吉生母、死去
  7.23 加藤清正、鞠景仁の帰順を許し、朝鮮二王子の身柄を拘束。朝鮮義兵権応銖、慶尚道永川を回復7.22 秀吉、母危篤の報を受け名護屋発足
  7.29 金命元、平壌を攻め、撃退される7.29 秀吉、大阪に還る
  8.1 日本勢、忠清道清川から退去 
  8上旬 長谷川秀一・細川忠興ら慶尚道内の経路確保のため漢城を発足し南下 
  8.18 明国、朝廷増援を決定。軍務経略宋応昌、軍務提督李如松、遊撃沈惟敬 
  8.20 慶州の戦い 
  8.28 全羅道義兵、錦山・茂朱を襲う 
  8.29 小西行長と沈惟敬が平壌で会見 
  9.6 朝鮮義兵朴晋、慶尚道慶州を回復 
  10.6 長谷川秀一・細川忠興ら晋州城を包囲 
  10.10 日本勢、晋州城の包囲を解く 
   11.1 秀吉、名護屋に戻る
  11.16 明国遊撃将軍沈惟敬、朝鮮国王に拝謁 
  11下旬 沈惟敬、平壌の小西軍を訪れる 
  12.9 明軍の先遣、朝鮮の義州を訪れる 
(12.8改元)   
文禄元年 12.9 開城で日本の諸将が会議 
文禄215931.5 明将李如松らの軍勢が小西行長らの拠る平壌を包囲 
  1.7 小西行長ら、平壌から退却 
  1.16 小西行長、漢城へ帰還 
  1.17 朝鮮国王、義州を立つ 
  1.26 碧蹄館の戦い、小早川隆景ら明軍を撃破 
  2.12 幸州山城の戦い、権慄、日本勢を退ける 
  2中旬 咸鏡道安辺で加藤清正と明将馮仲纓と会談 
  2.27 日本の諸将、漢城において会盟 
  2.28 鍋島勢、漢城帰還(翌29日、加藤清正帰還) 
   3.10 秀吉、尚州を最前線とし、晋州を攻略するための陣容を発表
  3.13 明軍、漢城近郊竜山館の積糧を焚焼す 
  3中旬 沈惟敬と日本側諸将との間に和平交渉が再開される3.20 伊達政宗、名護屋出立。壱岐到着
  3.24 朝鮮国王、平壌に入り、李如松を接見
  4.13 伊達政宗、釜山上陸。18日蔚山へ出立、21日蔚山着、23日梁山へ移動。その後晋州攻城戦に参加 
  4.17 明国の「使節」一行が漢城に入り、日本勢の漢城撤退が開始される 
   5.1 秀吉、大友義統・島津忠辰・波多親を改易
   5.15 明国「使節」小西行長らに伴われ名護屋に到着
   5.23 秀吉、明国「使節」に接見
  6.2 小西行長・石田三成ら、釜山に戻る 
  6.29 晋州城陥落6.28 明国「使節」名護屋出立
  7.7 沈惟敬ら、漢城に到着。李如松、内藤如安を問責する 
  7.17 晋州陥落の報が漢城に達す 
  7 李如松、漢城を発し明へ帰国7.29 秀吉、日本勢約5万の撤退を命ず
  8.7 民兵3万、漢城を発し遼東へ帰還 
  8.9 朝鮮2王子と明国「使節」が漢城に到着8.9 男子(拾、のちの秀頼)出生の報が名護屋に届く
   8.15 秀吉、名護屋を出立
   8.25 秀吉、大阪に到着
  8.29 沈惟敬、内藤如安を伴って漢城を発足 
  8 李舜臣、忠清・全羅・慶尚三道水軍統制使となる 
   9.4 秀吉、秀次に日本分割案を提示
   9.8 上杉景勝、名護屋着岸
  9.11 伊達政宗、釜山出立。18日名護屋到着 
  9.29 朝鮮国王、漢城へ帰還 
   11.2 秀吉、「小琉球」充て国書を認む
   11.5 秀吉、「高山国」充て国書を認む
   11.28 秀吉、尾張国内に「条々」を発す
  12.23 沈惟敬、熊川の小西陣に入る
文禄315941.19 沈惟敬「関白降表」を携えて、熊川の小西陣を発足 
  4中旬 惟政、都元帥権慄の命をうけて西生浦の加藤清正を訪れ、講和条件を質す 
   5.24 秀吉、福島正則・毛利友重を朝鮮兵糧米の奉行に任ず
  7中旬 惟政、明将劉綎の書を携え、再び西生浦の加藤清正を訪ねる 
  8.12 全羅道にあった明総兵劉綎、漢城に到着。その後明へ発向 
  10 明将劉綎北京に帰還 
  11.11 明の宋応昌、経略を辞す。顧養謙ついで孫鉱がこれに就く 
  12.6 内藤如安北京に入る 

年代西暦中国・朝鮮半島での出来事日本での出来事
文禄415951 明廷、「封倭」使節として正使李宗城、副使楊方亨を決定1.14 秀吉、秀次の名護屋下向と新たな派兵計画を発表
  4.6 沈惟敬、漢城到着 
   4.12 秀吉、島津義弘に帰国を命ず(領内仕置きの件)
  4.27 明国使節、漢城到着 
  4.29 釜山に入った沈惟敬との会談を終え、小西行長日本へ急行 
  5.10 島津義弘、巨済島発足(6.5大阪到着) 
   5.22 秀吉、新たな和平条目を発す
   5.23 朝鮮半島に残置する城塞を決定
   7.8 秀吉、秀次を高野山へ追放
   7.15 秀次、高野山にて自刃
  10.11 副使楊方亨、釜山に到着、小西陣に入る 
  11.22 正使李宗城、釜山に到着、小西陣に入る 
文禄515961上旬 小西行長、沈惟敬を伴って名護屋へ向かう 
  4.2 正使李宗城、釜山の日本陣から遁亡 
  5.4 明朝廷、副使楊方亨を正使、沈惟敬を副使に累進せしむ 
  5.15 加藤清正、西生浦から日本へ帰還 
  6.14 小西行長、楊方亨らを伴って釜山出帆 
  7 忠清道鴻山の李夢鶴、兵を募って乱を起こす 
  閏7.8 黄慎・朴弘長ら朝鮮使節、釜山発足 
   閏7.12 畿内に大地
   閏7 明国使節、堺に到着
   8.18 朝鮮使節、堺に到着
   9.1 秀吉、大阪城において明国使節を引見
   9.8 明国・朝鮮使節、堺を発足
   10上旬 小西行長・明国使節ら、名護屋着
(10.27改元)   
慶長元年 11下旬 朝鮮使節、釜山帰還 
  12.7 小西行長、釜山上陸 
  12.8 寺沢正成、釜山到着 
  12.20 黄慎・朴弘長、漢城入京。楊方亨・沈惟敬、釜山到着 
慶長215971.13 鍋島勝茂、金海竹島上陸。同日加藤清正、多大浦へ上陸し、程なく西生浦へ移動 
   2.11 秀吉、再派兵の陣立を発す
   2.21 島津義弘、大隅を発足
  3.5 沈惟敬と宗家家中柳川調信が宜寧で会談 
  3.17 加藤清正の求めに応じ、惟政が西生浦を訪れる 
  4.30 島津義弘、加徳島に到着。子息忠恒と合流 
   5.1 秀吉、宗義智に対し巨済島を充行う
   5.22 小早川秀俊、大阪を出立、筑前へ下向
   6.10 浅野長慶、大阪を発足
   6.12 小早川隆景、没す
   6.16 毛利秀元、領国を出立
   6.29 小早川秀俊、名護屋発足
  7.7 長宗我部元親、釜山入り 
  7.14 巨済島沖海戦 
  7.17 小早川秀秋、釜山着陣 
  7.20 浅野長慶、西生浦に入城 
  7.22 李舜臣、全羅左水使兼三道統制使となる 
  8.15 南原城陥落 
  8.16 金石山城陥落 
  8.19 日本勢、全州で談合 
  9.3 明経理楊鎬、漢城に入る 
  9.7 稷山の戦い 
  9.15 日本勢、井邑で軍議 
  9.16 李舜臣、鳴梁水道において日本の船手を破る 
  10 日本勢、沿岸各地に撤退し、城塞の構築に従う10.5 秀吉、毛利輝元の渡海を止める
   11.29 秀吉、朝鮮細工人・縫官の送還を指示
  12.7 明経理楊鎬、漢城を発して南下を開始 
  12.22 明・朝鮮軍、蔚山城攻撃を開始 
慶長315981.4 日本勢、蔚山攻城軍を撃退 
  2 朝鮮半島に秀吉急逝の噂が流れる。明の増援軍が鴨緑江を越える 
  3.28 明経略邢玠、経理楊鎬と議し、反攻の体制を決定 
  3.28 明廷、経理楊鎬を罷免 
  6.23 万世徳が新たな経理に就任 
  6.25 明都督陳璘、水軍を率いて全羅道へ南下 
   8.18 秀吉、伏見城に薨ず
   8.25 秀吉没後の豊臣政権。徳永寿昌・宮木豊盛を朝鮮半島に派遣。和議締結を指示
  10.1 泗川の戦い、同日徳永寿昌・宮木豊盛が釜山上陸 
  10.2 順天の戦い 
  11 万世徳、漢城着任 
  11.18 露梁津海戦 
  11下旬 釜山に終結(ママ)した軍勢、日本へ帰還 
   12.10 島津勢、博多着岸
   12.11 小西行長・寺沢正成博多着岸

年代西暦中国・朝鮮半島での出来事日本での出来事
慶長41599 3 対馬の宗氏が明将劉綎に書契を発す
   6末 宗氏、明・朝鮮政府に書契を発す
   12 家康、島津氏に質官茅国科の明送還を命ず
慶長51600 2 宗氏、朝鮮政府に書契を発す
  9上旬 明軍完全撤退を朝鮮側に通告9.15 関ヶ原の戦い
  11 明軍、朝鮮半島から完全撤退 
慶長61601 5 宗義智・寺沢正成、朝鮮礼曹充てに書契を発す
  8 朝鮮国が宗義智・柳川調信充てに書契を発す 
   11 対馬宗氏、使節を朝鮮国に派遣
慶長71602 4 加藤清正、福建巡撫に書契を発す
  9 宗氏使節が日本側の再派兵に言及する 
  この年、冬経理万世徳が没し、蹇達が後任に就く 
慶長81603 2 徳川家康、征夷大将軍就職
慶長91604 2 対馬宗氏、使節を朝鮮に派遣し、将軍家康の使節派遣要請を伝える
  5 明の朝廷が朝鮮と日本の「交隣」を認める 
  7 朝鮮国は「探賊使」として惟政を対馬へ派遣 
慶長101605 3.5 家康が伏見城において惟政を引見
   4.16 徳川秀忠、征夷大将軍に任じられる
慶長11160611 家康の「国書」が朝鮮国に送達され、「犯陵賊」の引き渡しが行われる 
慶長1216071 朝鮮政府の「回答兼刷還使」が漢城発足 
   5.6 朝鮮使節、国書を将軍に呈上。日本と朝鮮国との国交回復