朝鮮

朝鮮

 李成桂は、鄭夢周ら反対勢力を抑え、一三九二年に恭譲王からの禅譲の形式を整えて王位に即いた。この王姓から李姓へという易姓革命は、自国中心の天下認識を反映し、天命によるものとして正当化された。太祖李成桂の陵である健元陵(コヌォンヌン)の神道碑文冒頭の部分には「天有徳を眷み、以って治運を開く」とあり、有徳者李成桂が天命をうけて即位するとされるのである。ややのちの十五世紀半ばにつくられた朝鮮の建国叙事詩が、『龍飛御天歌』と名づけられていることも、当時の意識のあらわれである。

 ただ、明との関係も当然考慮しなければならず、即位後ただちに明に報告して、国王交替の承認と事大の関係の継続を求めている。このとき、明から、高麗は山や海をへだてた彼方にあり、東夷は中国のおさめる所ではないという内容の文書がもたらされたことは、先述のとおりである。このときの国号はまだ高麗を踏襲しており、李成桂の肩書きも「権知高麗国事」いわば仮の国王というものであった。朝鮮という国号が定められたのは、翌一三九三年である。前年冬に明が国号の改定を問題としたので、李成桂政権は、朝鮮と和寧(ファニョン)(李成桂の地盤であった咸鏡南道(ハムギョンナムド)永興(ヨンフン)の旧名にちなむもの)の二つを候補として打診すると、明は周の武王が箕子を朝鮮に封じたという由緒のあるものとして朝鮮の国号を勧めた(檀君朝鮮は明ではまだ知られていなかった)。このことによって、のちの朝鮮王朝の両班知識人が、周と箕子朝鮮との関係を、明と李氏朝鮮との関係に擬すようになるのである。

山内弘一『朝鮮からみた華夷思想』世界史リブレット67 山川出版社

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