森鴎外略年表

森鴎外略年表

森鴎外とその時代
西暦年号主な事項
1862文久211-19 津和野藩医森静泰の長男として出生
1872明治5116-26 父に同行し津和野を発つ。10- 本郷の進文学舎に学ぶ
1874 7131- 大一大学区医学校(のちに東京医学校、さらに東京大学医学部となる)予科に入学
1877 10164- 東京大学医学部本科に進む
1881 14207-9 東京大学医学部を卒業。12-16 陸軍にはいって、陸軍医副に任命される
1884 17236-7 ドイツ留学の名を受け、8-24 離日し、10-11 ベルリンに到着。10-22 ライプチヒに赴き、同地の大学のホフマンに師事
1885 182410-13 ドレスデンでザクセン陸軍冬季軍医学講習に参加
1886 19253-8 ミュンヘンに移り、同地の大学のペッテンコオフエルに師事。5-1 ミュンヘン大学に入学
1887 20264-16 ベルリンに移り、同地の大学でコッホに師事。9-22~27 カールスルーエでの第4回国際赤十字大会に参加
1888 21279-8 帰国。12-28 陸軍軍医学校・陸軍大学教官に就任
1889 22281- 『東京医事新誌』の編集主筆になる。11- 罷免される
1890 23291-3 『舞姫』を『国民之友』に発表
1894 27338-27 第二軍兵站軍医部長となり、日清戦争に従軍(~1895)
1899 32386-8 軍医監に昇進し、小倉の第十二師団軍医部長に任命される。子のとs、同師団将校にクラウゼヴィッツの『戦争論』を講ず
1902 35413-14 第一師団軍医部長となり、上京
1904 37433-6 第二軍軍医部長となり、日露戦争に従軍(~1905)
1906 39451-12 東京に帰還し、第一師団軍医部長の職に戻る。6-10 「常磐会」(山県有朋が中心)を創設し、幹事の一人になる
1907 404611-13 陸軍軍医総監となり、陸軍省医務局長に任命される
1911 44509-1 『スバル』に小説「雁」の連載を開始(~1913)
1912大正元511- 「かのやうに」を『中央公論』に発表。10- 「興津弥五右衛門の遺書」を『中央公論』に発表
1913 2521- 「阿部一族」を『中央公論』に発表
1916 5551- 『中央公論』に「高瀬舟」を発表。4-13 陸軍軍医総監・陸軍省医務局長を辞任
1917 65612-25 宮内省帝室博物館総長兼図書頭に任命される
1919 8599-8 帝国美術院院長に就任
1921 10606-25 臨時国語調査会会長に就任
1922 11617-9 東京で没し、向島の弘福寺に埋葬される(のちに、三鷹の禅林寺に改葬)。戒名は「貞献院殿文穆思斎大居士」

1872(明治5)年までは陰暦による。本文では必要に応じて陽暦を併記した。

荒木康彦『桂太郎と森鴎外』日本史リブレット人91 山川出版社