樽金

樽金

「何んでも昔し羅馬に樽金とかいう王様があって……」「樽金? 樽金はちと妙ですぜ」「私は唐人の名なんか六ずかしくて覚えられませんわ。何でも七代目なんだそうです」「なるほど七代目樽金は妙ですな。ふんその七代目樽金がどうかしましたかい」「あら、あなたまで冷かしては立つ瀬がありませんわ。知っていらっしゃるなら教えて下さればいいじゃありませんか、人の悪い」と、細君は迷亭に食って掛る。「何冷かすなんて、そんな人の悪いことをする僕じゃない。ただ七代目樽金は振ってると思ってね……ええお待ちなさいよ羅馬の七代目の王様ですね、こうっと慥かには覚えていないがタークウィン・ゼ・プラウドの事でしょう。まあ誰でもいい、その王様がどうしました」

夏目漱石『吾輩は猫である』岩波文庫 p90-

「ほかの道楽はないですが、むやみに読みもしない本ばかり買いましてね。それも善い加減に見計らって買ってくれると善いんですけれど、勝手に丸善へ行っちゃ何冊でも取て来て、月末になると知らん顔をしているんですもの、去年の暮なんか、月々のが溜って大変困りました」「なあに書物なんか取って来るだけ取って来て構わんですよ。払いをとりに来たら今にやる今にやるといっていりゃ帰ってしまいまさあ」「それでも、そう何時までも引張る訳にも参りませんから」と細君は撫然としている。「それじゃ、訳を話して書籍費(しょじゃくひ)を削減させるさ」「どうして、そんな言をいったって、なかなか聞くものですか、この間などは貴様は学者の妻にも似合わん、毫も書籍の価値を解しておらん、昔し羅馬(ローマ)にこういう話しがある。後学のため聞いて置けというんです」「そりゃ面白い、どんな話しですか?」迷亭は乗気になる。細君に同情を表しているというよりむしろ好奇心に駆られている。「何んでも昔し羅馬に樽金とかいう王様があって……」「樽金? 樽金はちと妙ですぜ」「私は唐人の名なんか六ずかしくて覚えられませんわ。何でも七代目なんだそうです」「なるほど七代目樽金は妙ですな。ふんその七代目樽金がどうかしましたかい」「あら、あなたまで冷かしては立つ瀬がありませんわ。知っていらっしゃるなら教えて下さればいいじゃありませんか、人の悪い」と、細君は迷亭に食って掛る。「何冷かすなんて、そんな人の悪いことをする僕じゃない。ただ七代目樽金は振ってると思ってね……ええお待ちなさいよ羅馬の七代目の王様ですね、こうっと慥かには覚えていないがタークウィン・ゼ・プラウドの事でしょう。まあ誰でもいい、その王様がどうしました」「その王様の所一人の女が本を九冊持って来て買ってくれないかといったんだそうです」「なるほど」「王様がいくらなら売るといって聞いたら大変な高いことをいうんですって、余り高いもんだから少し負けないかというとその女がいきなり九冊の内の三冊を火にくべて焚(や)いてしまったそうです」「惜しい事をしましたな」「その本の内には予言か何か外で見られない事が書いてあるんですって」「へえー」「王様は九冊が六冊になったから少しは価(ね)も減ったろうと思って六冊でいくらだと聞くと、やはり元の通り一文も引かないそうです。それは乱暴だというと、その音はまた三冊をとって火にくべたそうです。王様はまだ未練があったと見えて余った三冊をいくらで売ると聞くと、やはり九冊分のねだんを呉れというそうです。九冊が六冊になり、六冊が三冊になっても代価は、元の通り一厘も引かない、それを引かせようとすると、残っている三冊もひにくべるかも知れないので、王様はとうとう高い御金を出して焚け余りの三冊を買ったんですって……どうだこの話しで少しは書物のありがた味が分ったろう、どうだと力味(りき)むのですけれど、私にゃ何がありがたいんだか、まあ分りませんね」と細君は一家の見識を立てて迷亭の返答を促がす。

夏目漱石『吾輩は猫である』岩波文庫 p90-
吾輩は猫である (岩波文庫)

吾輩は猫である (岩波文庫)