正月

正月

幽蘭居士東京夢華録 巻六

正月

 正月一日は「年節」で、開封府では、三日の間、関撲(かけもの)を差し許す。庶民は朝から互いに年賀を交わす。町々では食べ物・道具・果物・薪炭の類を賭け物にして、節廻しよろしく関撲をやっている。馬行街や潘楼街、都の東の宋門外や、都の西の梁門外の踴路(ようろ)*1都の北の封丘門外、および都の南部一帯といったところでは、みな五彩の棚(やぐら)を作り、冠りもの・櫛・真珠・翡翠・頭飾り・衣裳・造花・領抹・靴鞋(くつ)・骨董などの店をならべ、その所々には舞いや歌の演戯場がならび、車馬が馳せ交う。

 日暮れになると、良家の婦人も自由に関撲に興じたり、演戯場に入って見物したり、町の料理屋に入って酒宴をやったりするが、こうした習わしがしきたりになっているので、お互いに怪しまない。それは寒食の日と冬至の日と共に、三日とも同様である*2。たとい細民で貧乏なものでも、必ずさっぱりした着物をつけ、酒を酌みかわすのである。

孟元老『東京夢華録』東洋文庫 平凡社

正月*3


 正月朔日は元旦といい、普通は新年とよぶ。一年の節季の順序*4では、これがまっ先になる。おかみでは、公・私の家賃を三日間免除される*5。士大夫たちは互いに年賀の挨拶をかわし、しもじもの男女たちまで、みな新しい着物を着て、年始のやりとりをする。町々では、食物・日用品・冠りもの・梳(くし)・領抹(スカーフ)・緞匹(きぬおりもの)・造花(はなかざり)・おもちゃ*6などの物をもって、家々の門(かど)ごとに、節まわしをつけ関撲(かけうり)*7をやる。貧富にかかわりなく、道観*8や寺院をめぐり遊ぶ人たちは、終日絶え間がない。どの家でも酒宴がもよおされ、笑い語らう声は喧しい。こうした杭州城内の風俗、昔からの侈靡(ぜいたく)な習慣は、現在に至るまで変らない。

呉自牧『夢梁録』東洋文庫 平凡社

*1:巻三の「大内の西、右掖門外の町々」の章の注(4)を見よ。

*2:『歳時広記』巻三十九に引く「歳時雑記」、および金盈之の『新編酔翁談録』巻四によれば、汴京では正月と寒食(清明)と冬至とを三大節としていた。この三大節には、それぞれ三日間を限って関撲が公認された(『雲麓漫鈔』巻五)。一年を通じての休暇は計七十六日であった。『文昌雑録』にその祝日と休みの日数を列挙している。

*3:孟元老『東京夢華録』巻六の「正月」を踏襲する(以下『東京夢華録』は『東』と略称する。なお、東洋文庫五九八の入矢義高・梅原郁訳注本の頁数を付しておく)。ここでは歌叫関撲などの用語はそのまま使うが、「士庶自早、互相慶賀」は、「士夫皆交相賀」に、「小民雖貧者亦須新潔衣服」は「細民男女亦皆鮮衣」と書きかえる(訳注二〇〇頁)。

*4:原文は「一歳節序」。一年間の季節、節令としては二十四節気はじめ、種々の次元のものが混ざり合っている。それらすべての最初が元旦という意味。

*5:この記事は『東』にはない。公・私房屋の家賃免除については、梅原郁「宋代都市の房僦とその周辺」(『布目潮渢博士古稀記念論集・東アジアの法と社会』、一九九〇、汲古書院)を参照されたい。

*6:原文は「玩具」。いわゆるおもおちゃだけではなく、遊び道具全般を指す。

*7:「関撲」は『東』訳注八三頁注(16)参照。買いたい品物や食物に、一定の金銭を賭け、ついで、サイコロの代りに何枚かの一文銭を擲り投げ、その表裏の数などで、当り外れをきめる。当れば高価な品物が安い元金で手に入る。撲は投げる意。一種の軽い賭けを伴ってはいるが、商いとしては小規模で、かつ多くは祭りなど特定の時に限って行われる。

*8:原文は「琳宮」。美しい玉で飾った宮殿。琳宇、琳宮は道観の別称。

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