秦時のたく轢鑽

秦時のたく轢鑽

たくは「車度」

110 秦時たく轢鑽(秦時のたく轢鑽) ――碧巌録6――

 雲門和尚ははじめ睦州(ぼくじゅう)和尚(生寂不詳)に参じた。睦州は機鋒が鋭くて容易に寄りつきがたかった。平生修行者を導くのに、その修行者が室の入口をまたぐやいなや、すぐにその胸ぐらをひっとらえて「いえ、いえ」とやる。何か言おうとしていえずにいると、ただちに室外に押し出して、「この秦時のたく轢鑽め」と罵倒する。雲門が参じたときも二度まで同様であった。三度めに戸口を叩くと、「誰だ」といわれたので、「文偃です」と答えて、睦州が戸を開けると、ただちに飛び込んだ。しかし睦州はまたもや雲門の胸ぐらをとらえて、「いえ、いえ」と迫った。何かいおうとすると、またも室外に突き出された。雲門の片脚はまだ外に出きっていなかった。睦州が急に戸をしめたので、雲門の脚は折れた。「あ痛い!」と思わず音(ね)をあげたとき、雲門は忽然と大悟した。ちなみに「秦時のたく轢鑽」とは、秦の始皇帝が阿房宮を建てた時に使った、とほうもなく大きな轆轤(ろくろ)仕掛の錐で、いまやまったくの無用の長物、俗にいう「ウドの大木」というところである。

秋月龍珉『一日一善』講談社学術文庫