立冬

立冬

幽蘭居士東京夢華録 巻六

立冬

 この月には立冬となる。立冬の五日前に、西の御料農園からは冬の御料の野菜を上納する。都は寒い土地がらなので、冬には蔬菜がなくなるから、上は宮中から、下は民間に至るまで、野菜をいっときに貯蔵しておいてひと冬の食用に当てるのである。そのため、野菜を積んだ車や馬が道いっぱいになる。季節のものとしては、薑シヨウ子・紅糸末臓・鵝梨・榲ボツ(マルメロ)・あさり貝・蟹*1がある。

孟元老『東京夢華録』東洋文庫 平凡社

立冬*2

 立冬の日、朝廷から官をさし遣わせ、神州地祇(くにつかみ)と天神太乙をお祀りになる*3

 十五日は、水官の厄解(はら)いの日である。道教の宮観では、人びとが祭壇を設けておまつりを行ない、あるいは厄解(よ)けをしたり、死者をとむらったりする*4

 立冬のあと、もし季節どおりに瑞(めでた)き雪が降れば、朝廷から雪寒銭*5として、関会(しへい)二十万がくだされ、軍・民に賜わる。官・私の(家)賃五、七十文が免除されて*6、手厚い恩沢のこころが示される。

呉自牧『夢梁録』東洋文庫 平凡社

*1:以上の食品は、すべて巻二に既出。

*2:『東』巻九に「立冬」があるが、本条と内容は全く違う。

*3:北郊の方壇(地壇)で地を祀る儀式は、本来夏至に行われるが、宋代では、別に壇を北郊に作って、孟冬(十月)に神州地祇(中国の土地神)をまつることも行われた(『宋史』巻一〇〇、北郊)。また『政和新儀』では立冬の日に中太一宮を祀るときめ、杭城の太乙五宮の一つで祭祀が行われていたと思われる。

*4:『歳時広記』巻三七、下元には次のように記す。「道経に曰く、十月十五日、これを下元令節と謂う。この日よろしく斎戒沐浴し、慮を静め心を澄ませ、水を酌み花を献じ、真に朝し聖に礼し、もって罪を滅し愆(とが)を消し、年を延し、寿を益すべし」。死者をとむらうは原文「薦亡」。亡き人のため経を念じ仏事をとり行うこと。

*5:『建炎以来繋年要録』巻三〇、建炎三年十二月己丑にその早い例がみえ、同書巻六二、紹興三年正月壬午にも、諸軍の兵士に雪寒銭を与えた記事がある。

*6:これまで何回か出た、公私の家賃を三日間免除するのと同じであろう。ただしここで五、七十と銭額をあげているのに注意。

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