紋切型

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第八章 無神経な文章

1 紋切型

 最近の新聞の投書欄で次のような文章を読んだ。全文引用する。


 只野小葉さん。当年五五歳になる家の前のおばさんである。このおばさん、ただのおばさんではない。ひとたびキャラバンシューズをはき、リュックを背負い、頭に登山帽をのせると、どうしてどうしてそんじょそこらの若者は足もとにも及ばない。このいでたちで日光周辺の山はことごとく踏破、尾瀬、白根、奥日光まで征服したというから驚く。

 そして、この只野さんには同好の士が三、四人いるが、いずれも五十歳をはるかに過ぎた古き若者ばかりなのである。マイカーが普及し、とみに足の弱くなった今の若者らにとって学ぶべきところ大である。子どもたちがもう少し手がかからなくなったら弟子入りをして、彼女のように年齢とは逆に若々しい日々を過ごしたいと思っている昨今である。(『朝日新聞』一九七四年七月一五日朝刊「声」欄・人名は仮名)


 一言でいうと、これはヘドの出そうな文章の一例といえよう。しかし筆者はおそらく、たいへんな名文を書いたと思っているのではなかろうか。だが多少とも文章を読みなれた読者なら、名文どころか、最初から最後までうんざりさせられるだけの文章だと思うだろう。(もちろん内容とは関係がない。)なぜか。あまりにも紋切型の表現で充満しているからである。手垢のついた、いやみったらしい表現。細かく分析してみよう。

「只野小葉さん。当年五五歳…」という書き出しは、明らかに次のスタイルをまねている。(人名は仮名にした)


 毎日太郎さん――二三歳、一児のパパ、そして筋ジストロフィーの患者である。(『毎日新聞』一九七五年一〇月一八日朝刊・家庭面)


 朝日次郎さん、四十九歳、青森市浅虫温泉出身。練馬区貫井三丁目に住む……(『朝日新聞』一九七七年九月二七日朝刊・東京版)


 このスタイルが流行しはじめたのは、たぶんこの一〇年前後(一九六五年前後から)以内のことであろう。だがこの方法を最初に使った人には私は敬意を表したい。新鮮な響きを持つ。私の記憶では、これを初めて見たのは疋田桂一郎氏の文章であった。(もっともこれが疋田氏の”発明”かどうかは知らないが、ともかく流行以前ではあった。)疋田氏は私が新聞記者になりたてのころ『朝日新聞』の社会部遊軍記者として活躍していた。ときどき社会面の大きなスペースをさいて出るルポの文章に、ひたすら感嘆するばかりだった。独特の文体。鋭い視点。スキのない言葉の選択。かけだし記者の私は、何年ものあいだ疋田氏の文体やものの見方を手本にしていた。しかも疋田氏のえらいところは、自分の文体をも破壊してゆく点だ。この「何野誰兵衛。五五歳……」式のスタイルも、流行しはじめるころには彼自身が使わなくなっている。

 投書はそのあと「このおばさん、ただのおばさんではない」と書く。この表現がまた、どうにもならぬ紋切型だ。助詞を省いたこの用法は、文自体に「笑い」を出してしまう。落語家が自分で笑っては観客は笑わない。しかし「このおばさん、ただの……」とやると、もう文章が自分で笑いだしている。いい気になっているのは自分だけで、読む方は「へ」とも思わない。また「ただのおばさんではない」などと無内容なことを書くくらいなら、どのように「ただ」でないのか、具体的内容をすぐに続けて書くべく、この部分は省略すべきだろう。

「ひとたびキャラバンシューズをはき、……」も文自体が笑っている。つづいて「どうしてどうして」だの「そんじょそこらの」だのという手垢のついた低劣な紋切型がまた現れる。「足もとにも及ばない」も一種の紋切型だ。さらに「ことごとく」「踏破」「征服」といった大仰な紋切型がつづいた末「驚く」と自分が驚いてしまっている。読んだ方は逆に全然驚かない。「三、四人いるが」と、あの不明確なガ(第六章)。つづいて「古き若者」という面白くもない文自体の笑い。「学ぶべきところ大」というような、これも紋切型の(「ぼやくことしきり」式の)修辞。最後にまた「……昨今である」という(「……今日このごろである」式の)大紋切型で終わる。しかも後半の文は全部「である」で終わっている。

 こういう文章を自分では「名文」だと思っている人がかなりあることの責任の一半は、たぶん新聞記者にもあるだろう。ほとんど無数に氾濫している紋切型の言葉の中から、頭にうかぶものをいくつか列挙してみる。――

「ぬけるように白い肌」「顔をそむけた」「嬉しい悲鳴」「大腸菌がウヨウヨ」「冬がかけ足でやってくる」「ポンと百万円」……

 雪景色といえば「銀世界」。春といえば「ポカポカ」で「水ぬるむ」。カッコいい足はみんな「小鹿のよう」で、涙は必ず「ポロポロ」流す。「穴のあくほど見つめる」という表現を一つのルポで何度もくりかえしているある本の例などもこの類であろう。

 こうしたヘドの出そうな言葉は、どうも新聞記者に多いようだ。文章にマヒした鈍感記者が安易に書きなぐるからであろう。一般の人の読むものといえば新聞が最も身近なので、一般の文章にもそれが影響してくる。入江徳郎氏の『マスコミ文章入門』は、紋切型の例として「――とホクホク顔」「――とエビス顔」「複雑な表情」「がっくりと肩を落とした」等々を論じたあと、次のように述べている。


 紋切型とは、だれかが使い出し、それがひろまっった、公約数的な、便利な用語、ただし、表現が古くさく、手あかで汚れている言葉だ。これを要所要所で使用すれば、表現に悩むことも苦しむこともなく、思考と時間の節約が可能になる。それ故に、安易に使われやすい。

 しかし、紋切型を使った文章は、マンネリズムの見本みたいになる。自分の実感によらず、あり合せの、レディーメードの表現を借りるのだから、できた文章が新鮮な魅力をもつわけがなかろう。


 紋切型を平気で使う神経になってしまうと、そのことによる事実の誤りにも気付かなくなる。たとえば「……とAさんは唇を噛んだ」と書くとき、Aさんは本当にクチビルを歯でギュッとやっていただろうか。私の取材経験では、真にくやしさをこらえ、あるいは怒りに燃えている人の表情は、決してそんなものではない。なるほど実際にクチビルを噛む人も稀にはあるだろう。しかしたいていは、黙って、しずかに、自分の感情をあらわしようもなく耐えている。耐え方の具体的あらわれは、それこそ千差万別だろう。となれば、Aさんの場合はどうなのかを、そのまま事実として描くほかはないのだ。「吐きだすように言った」とか「顔をそむけた」「ガックリ肩を落とした」なども、この意味で事実として怪しいきまり文句だろう。実例を挙げる。――


「ニコヨン物語」という本をご記憶だろうか。昭和三十一年、当時、ニコヨンと呼ばれた日雇い労働者がえんぴつをなめなめつづり、映画にもなったベストセラーだ。(『朝日新聞』一九七八年五月二〇日朝刊・東京版)


 右の「えんぴつをなめなめ」が怪しい。本当に「えんぴつ」だったか。本当に「なめなめ」書いたのか。それを取材したのであれば紋切型をやめて具体的に書くべきだし、紋切型として書いたのなら大ウソを書いたことになる。次の例はどうだろう。


 四人の子どもたちが通っていた多摩市立永山小学校のクラスメートは、最近、帰ってこない友達の話をしなくなった。(中略)話題にすれば、名前を呼べば、悲しみがつきあげてくるからだ。それでも、テストのプリントなどを配るとき、子どもたちは主のいない机の上にも、そっと置く。放課後、まとめて後ろのロッカーにしまっていく。(『朝日新聞』一九七六年七月二日朝刊・社会面)


 子供らは本当に「そっと」置いているだろうか。それを筆者は見たのか。あるいは間接的でも取材したのだろうか。事実は、子供らは他の子に配る配り方と同様なしぐさで配り、特別に「そっと」置いてはいないのではないか。つまりは「紋切型」に頼った可能性はないか。

 野間宏氏編による『小説の書き方』という本がある。野間氏を含めて小林勝・伊藤整・椎名麟三・瀬沼茂樹など一〇氏がそれぞれの考えを述べたものだ。もちろん小説の制作のために書かれたのだが、読んでみると文章一般に通ずるたいへん参考になることが多い。標題を「記事の書き方」とか「文章の書き方」としてもよいくらいである。この中で伊藤整氏は次のようなことを書いている。


 菫の花を見ると、「可憐だ」と私たちは感ずる。それはそういう感じ方の通念があるからである。しかしほんとうは私は、菫の黒ずんだような紫色の花を見たとき、何か不吉な不安な気持ちをいだくのである。しかし、その一瞬後には、私は常識に負けて、その花を「可憐」なのだ、と思い込んでしまう。文章に書くときに、可憐だと書きたい衝動を感ずる。たいていの人は、この通念化の衝動に負けてしまって、菫というとすぐ可憐なという形容詞をつけてしまう。このときの一瞬間の印象を正確につかめることが、文章の表現の勝負の決定するところだ、と私は思っている。この一瞬間にわたしを動かした小さな紫色の花の不吉な感じを、通念に踏みつけられる前に救い上げて自分のものにしなければならないのである。


 右の中の「たいていの人は、この通念化の衝動に負けてしま」うとあるのがとくに重要な指摘だ。「負けてしま」う結果、その奥にひそむ本質的なことを見のがしてしまう。だから紋切型にたよるということは、ことの本質を見のがす重大な弱点にもつながる。

本多勝一『日本語の作文技術』朝日文庫
日本語の作文技術 (朝日文庫)

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紋切型辞典 (岩波文庫)

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