蜀犬、日に吠ゆ

蜀犬、日に吠ゆ

しょっけん、ひにほゆ

蜀犬、日に吠ゆ


蜀犬、日に吠ゆ。」という。蜀の国は四方をけわしい山々によってとりかこまれ、秋から冬にかけては霧が深く、日の目をみることが稀なので、たまたま太陽に出会うと、犬があやしんで吠えるのだそうだ。おもうに、その犬は、漢代の土偶によくみかけるような、ピンと立った耳と、大きな口と、まいた短かいしっぽとをもった、いわゆる吠犬(べいけん)だったであろう。なかには、頸のうしろにふさふさとしたたてがみのある、ちょっと獅子をおもわせるようなたけだけしいやつもまた、いたかもしれない。成都の墓から掘りだされた土偶のなかに、褐色のうわぐすりをかけられて、にぶい光りをはなっている、そんなどうもうな一対の犬があったが、あれこそ蜀犬のなかの純血種であろう。なるほど、狆(ちん)の日に吠える図といったようなものもまた、それなりに愛嬌がないこともないが――しかし、あらためてことわるまでもなく、犬は大、狆は小、であって、やはり、蜀犬というばあいには、犬のなかの関羽や張飛を連想するのが自然ではなかろうか。むろん、ひるがえって考えるならば、「蜀犬、日に吠ゆ。」というのは、蜀の風土的な特色を一言で要約するために、犬をダシにつかっているだけのことであって、犬そのもののかたちの大小など問題外であるといえばいえよう。にもかかわらず、あえてわたしが、そのかたちにこだわるのは、いまもなお、あざやかにわたしの眼底にのこっている、頸から胴にかけて鋲をうった革紐でしばられた二千年前のたくましい犬の土偶だけが、かつての蜀の片鱗を、あるがままにつたえているからであろう。いや、単にそればかりではない。「蜀犬、日に吠ゆ。」とは、批評家を侮辱するさいの紋切型のセリフでもあった。しかし、批評家にもピンからキリまであるのだ。いささか大小にこだわってみたくもなろうというものである。

(後略)

花田清輝『随筆三国志』講談社文芸文庫