鉄腕ゲッツ

鉄腕ゲッツ

 ゲーテは二四歳の時、自由のために戦い自由のために命を捧げた騎士というテーマで、史劇『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』を発表し、文名一時に高くなった。同時にゲッツの名も、広く世に知られるようになる。実在のゲッツはもっとしたたかな男で、たびたびの危機を切り抜け、当時としては珍しい八一歳という長寿を全うし、持ち城の一つであったホルンベルク城で生涯を終えた。

 ゲッツは、ここから三〇キロほど東にあるヤークストンハウゼンの城で、一四八〇年に生まれた。日本ではちょうど戦国時代に入る頃だ。そして少年の頃から数々の戦闘に参加し、腕を磨いた。二四歳の時、砲丸で右腕を吹っ飛ばされたが、鉄製の精巧な義手で剣を操り、無類の強さだったので、鉄腕ゲッツの異名をとった。

 ゲッツは若い頃は諸侯に仕え、長じるに及んでは傭兵隊長やフェーデ(私闘)で荒稼ぎをした。フェーデはゲルマン時代に起源を持ち、紛争の解決に当たって話し合いがつかないときは武力によるという慣習である。国家権力が確立されていなかった時代には、それなりに問題解決の役割を果たしていたのであろうが、この頃になると不合理で有害極まる慣習であることは誰の目にも明らかであった。それで農民や市民は、とっくの昔から法廷で決着をつけるという制度を守るようになっていたのに、ゲッツのような一匹狼の騎士たちだけが、フェーデを正当な権利だと主張して譲らなかったのである。

 フェーデを放置しておくと無法と暴力がまかり通ることになるので、諸侯や都市はこういう騎士を目の敵にし、共同して武力で押さえこもうとした。シュヴァーベン地方の都市が中心になって同盟を結成した一半の理由もそこにある。

 一五二五年の農民戦争の時、ゲッツは農民軍に頼まれて指揮者になったが、旗色が悪くなったので、農民軍と契約した四週問の期限が切れたと言って、自分の城に引き揚げてしまった。戦争のプロとして、負け戦と決まったものには付き合うのはご免だったのだろう。ケーテの劇では最後まで奮戦し、「自由」を高唱しながら壮烈な最期をとげることになっている。

 事実はシュヴァーベン同盟軍につかまって牢に入れられ、「もう秩序を乱すようなことはしません」と誓約し、やっと釈放されたのである。しかし腕の立つことは鳴り響いていたから、六〇歳代になってもなお皇帝カール五世から傭兵隊長として招かれ、対トルコ戦や対フランス戦に出陣した。

『ドイツものしり紀行』新潮文庫
ドイツものしり紀行 (新潮文庫)

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