蜀犬 日に吠ゆ

1901-01-28

[][]一月二十八日 ヨーロッパの文明民族の宗教史をイスラエル民族の宗教史から はてなブックマーク - 一月二十八日 ヨーロッパの文明民族の宗教史をイスラエル民族の宗教史から - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

一月二十八日

 列王紀下五の一五―一九、ダニエル書三の二八、六の二七、創世記三の六・十六。ヨーロッパの文明民族の宗教史をイスラエル民族の宗教史からすっかり引き離そうとしても、決してうまく行かないであろう。イスラエルの宗教史は、われわれの見るところでは、その必然的「改革」がキリスト教において行われたわけだが、ユダヤ教徒はそれを不当な革命だと見なしている。これは、ちょうどカトリックとプロテスタントの関係と似ている。どうしたらこのような歴史的諸対立が解決してより高い統一に達するか。それは読者自身考えて見るがよかろう。そのような統一がいつか行われるであろうということは、確実である。なぜなら、この三つの信仰はいずれも、同一の根源と出発点をもつからである。すなわち、「イスラエエルの神」がそれであって、これこそは唯一の「まことの神」、あるいは、現代風にいえば、人間の把握力をはるかに超えたある事実についての唯一の完全な人間的理解をあらわすものである。「神に楯をつくまねをする」のはたやすいことだ。今日それをする多くの人たちは、権力者に対して反抗する場合の半分の勇気もいらない。無神論に厳罰を課する国家秩序のなかでなら、おそらく彼らは沈黙するであろう。しかし彼らが、どんなに精密に定義された神の観念にも反対するなんらかの権利を持つということは、相対的に承認せざるをえない。なぜなら、そのような神の観念は、つねにあまりに狭隘な、したがって誤ったものを含んでいるからだ。神それ自体は、たしかに、これまで人間が考え出したあらゆる「神の概念」よりも限りなく偉大なものである。

 だから、現代では、教義や哲学などのこらず脇に押しやって、われわれの子供らに単純に、歴史的な「イスラエルの神」と「キリストの神」を信じるように教える方がよいであろう。この神は、すでに古代の強大な諸王も認めざるをえなかったような事実上の出来事において自らを明示したが、今日もなお全く同様に実感されうるものである。

 倫理的世界秩序は、今も昔も変わりなく自由意志性に基づくものである。それは善悪ともに行われるままにまかせ、そして善が完全に善である場合にのみそれに勝利を与え、一方では悪を悪によってほろぼし、つまり「死者をして死者を葬らせる」ことができるものである。――こうした事実は、ただそのような偉大な神にのみふさわしいことであり、またこれは時として、自分らのその場かぎりの「哲学」や「政治」で神のみわざを変えうるかのように思いあがっている小さな人間どものばかげた行動に対する崇高な皮肉のようにさえ思われる。詩篇二の一―四、出エジプト記三の六・一三―一六。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫