蜀犬 日に吠ゆ

1901-02-12

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眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

二月十二日

 どんなに反対の実例があるにしても、この欠陥の多い地上で、やはり幸福と喜びとが得られるものだということを、大多数の人たちは夢にも知らない。

 貧しい人たちは、たえずそのみじめさにばかりこだわっており、身近な憂いの雲にとざされて大空を仰ぎ見ようとしない。富める人たちは、真に幸福になるためには、ぜひとも通らねばならぬ針の穴をくぐり抜けようとしない。信仰ぎらいな人たちは、彼らにいろいろな避難のきっかけを与える教会好きの信心家たちのふるまいに、たえず顔をしかめている。

 すべての人が幸福と喜びとを、もともとそれがありもしないところに、求めようとしている。しかし、この世のあらゆることを切り抜けてきた人びとはみな、それでも地上が「なみだの谷」(詩篇八四の六、改訳では言葉がちがっている)では決してないことを、最後には証言するだろう。

 この世で最もあわれなのは、老年になって、その半ばもしくは全部がいたずらに過ごされてしまった己れの過去をふり返って、それをもっと立派に送ることもできたのに、と思う時である。これが、今日、教養ある階級のなかにも見られる、無数の人びとの運命である。これをあなた自身の運命にしないように。

 バルナバ、すなわち「慰めの子」という名は(使徒行伝四の三六)、すべてのキリスト者がかならず持っていなければならない美しい名である。キリスト者のもとでは、つねに慰めがえられなければならない。しかし、たいていの信者に接しても、彼らが慰めの力をゆたかに持っているとは感じられないし、またたえずあらゆる手立てをつくしてその力を求めて、完全に満足すべき域に到達しようと努力しているとも感じられない。これこそ、世間の人たちが彼らを非難する点であり、それは全く当然である。

 とりわけすぐれた人びとにも、亡くなった時にあまり惜しまれない者がかなり多いのにくらべて、かえってごく単純な人で非常に残念がられることがある。その理由は、後者が慰めの子であって、彼らに接するときつねに心の「平和」が得られたのに反して、前者はそうでなかったからである。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫

使徒言行録 四

THE ACTS of the Apostles
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36 And Joses, who was also named Barnabas by the apostles( which is translated Son of Encouragement ), a Levite of the country of Cyprus,

36 たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、

新共同訳『新約聖書』国際ギデオン協会