蜀犬 日に吠ゆ

1901-03-01

[][]三月一日 エゴイズムは はてなブックマーク - 三月一日 エゴイズムは - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

 エゴイズムは何にもまして宗教と一致しないものである。したがって、われわれが何でもすべてを正しく、また心やすらかに所有しようとすれば、いったんそれをすてて(少なくとも心のなかで、ときには実際にも)、あらためて神から返してもらわねばならない。財産、名誉、よい評判、健康、働く力、家族、生活の喜びなどがそうである。いや、生命そのものでさえも例外ではない。そうしておかないと、これらすべての財宝はわれわれにとって破滅のもとになるかもしれないからだ。これが、いわゆる「試煉」の意味である。われわれがすすんでそれをするか、またそれをなしうるかどうかの、検査である。創世記二二。

 試煉のあとでこのような断固とした善き意志が生まれないかぎり、試煉の役目はまだ完全に果たされてはいないのであって、神がわれわれに恵みをたれ給うならば、試煉はやむはずがない。しかし、結局人間が不平を訴えてやまないために神が試煉を早めにうち切ったり、そればかりかその人を安らかに放っておいたりされるならば、それは大変わるい徴候である。このような人たちは、神に見すてられて、確実に破滅に向って進んでいるのである。それなのに、彼らはしばしばこの世の仕合せ者だと思われ、ときには自分でもそううぬぼれていて、目がさめたときには後の祭りになっている。

   三月の雪

 冬は去ったが

 春はまだ来ていない。

 生命と光と大気にあこがれて

 わが心は死ぬばかりだ。


 ふかい重圧のもとに

 わが思いはなお屈しており、

 不安とうれいと

 重い仕事の軛が私を苦しめる。


 大地は昔ながらの悲痛の叫びで

 私をおさえつけている。

 春の喜びの歌が聞こえるたびに

 またもや新しく雪がふってくる。


 けれども、雪の下にはすでに

 緑の芽がかがんでいるのが見えた。

 主よ、あなたのひそかなこころみは

 かならずあらわれねばなりません。


         *


  いま一度降りゆけ

      (ヨハネの黙示録三の一)

 高嶺を去って、深い谷にくだり行け、

 おまえはもう一度下山を決行しなければならぬ、

 遍歴のためおまえの心を鍛え直すのだ。

 まだ安息の冠をいただくには早すぎる。


 おまえの勇気はまだ定まらず、知恵もくらい、

 主はおまえの修練をおやめになれない。

 行いによってはなお与えられないものを、

 苦しみながらよろこんで捉えようと努めよ。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫