蜀犬 日に吠ゆ

1901-07-17

[][]七月十七日 今日きわめてひろくはびこっている神経衰弱症について はてなブックマーク - 七月十七日 今日きわめてひろくはびこっている神経衰弱症について - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

七月十七日

 今日きわめてひろくはびこっている神経衰弱症について、その最も厄介な点は、それがともすれば当人の意志力を弱めるばかりでなくて、道徳的判断力をも退廃させることである。そのためこの病気にかかった者は、大して嫌悪を感じないで醜悪なことを、考えたり行ったりすることができるのである。

 やがてころはついに、イギリス人が「道徳的狂気(モーラル・インサニティ)」と呼ぶ程度にまで進むが、不幸にも現代の「美」文学の少なからぬ部分がこれにおかされている。今でも、このような生活をいとなむ者は、時にはありふれた狂気に終ったりする。それでもこの唯物主義文学の大洪水はなおしばらくは隆盛を誇り、それがやがて減退してしまったあとで、ようやく多くの人びとは、救いの神が現れる山に向って、ふたたび眼をあげるであろう。

 しかしそのあいだも、少なくとも各個人は、もしこの病気にかかったと感じたならば、文学や美術や社交界に現われる神経病的なものとの接触を慎重に避けるべきであろう。神経的不健康は(健康と同じように)伝染するからである。この病気に対する外的な手段としては、正しい十分な量の仕事を持つことと、よい家庭環境にあることが最上の護りである。内的な方法としては、あらゆる健全な生活の源である神への心からなる帰依が大切である。まさにその通りだから、神との関係はほんの少しでも空想的な要素を含んでいてはならない。少なくとも、たとえば宗教小説によく見受けるような敬虔と官能的空想の混合物が入りこんではいけない。これは薬をみずからごまかすのだから、この病気の場合にはとりわけ有害である。

 ダンテ『神曲』地獄篇第三歌一〇三―一〇八行、第五歌三四―三九行。

 とにかく、神経衰弱症の原因は、一部は遺伝的であり、一部は現代世界の環境全体のなかにあるが、この時代病に対して、三つの肉体的手段と二つの精神的方法があり、それらが共同して作用しなければならない。まず、睡眠と、新鮮な空気と、肉食を少なくしてアルコールを全然採らないよい営業。つぎに、固い信仰と、地上における神の国のための仕事がそれである。この他に有効な治療法は存しない。それに、これらの方法は、必要とあれば、家庭でも用うることができる。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫