蜀犬 日に吠ゆ

1901-07-29

[][]七月二十九日 使徒たちやさらに近代の神のしもべの はてなブックマーク - 七月二十九日 使徒たちやさらに近代の神のしもべの - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

七月二十九日

 使徒たちや、さらに近代の神のしもべのだれとくらべても、今から三千年も前に全く異った状況のもとに生活したユダヤの王ダビデほどに、われわれに人間的に近く、また、どこまでもわれわれに理解できるような人はいない、ということは正に注目すべきことである。このことは、神との交わりには、いかなる外的状況にも影響されない「永遠の」真理が存するという最上の証明である。そしてこの真理は将来も同様に変らないであろう。ダビデの歌の多くのもの、例えば詩篇第十八の如きは、もしわれわれの心が正しい状態にあるならば、今日でもわれわれ自身の内奥の思いそのままだと言うことができよう。生と死をつかさどる全能な主とのこのような心からの交わりの仕方は、実にダビデ王が初めて実践したのである。だから、彼は非常に大きな欠点を持っていたにもかかわらず、ダビデ(愛される者)というその名が示すように、つねに神の「寵児」であった。名のみの「宗教」が、このような神との関係をわれわれからふたたび奪ってはならない。

 人間が、このたしかに可能な、神との結びつきの方法から遠ざかるやいなや、神の最大の敵である獣的官能性、もしくは恐るべき迷信の支配に陥りがちである。近い将来に、この二つの徴候がまざまざと姿を示すであろう。なぜなら、すべての文明国民が唯物主義の時代に生き、「現代自然科学の成果」についての一種の誇大妄想の時代に生きているために、神との生きたつながりをほとんど失った挙句のはてに、いまやすでに「迷わす力」(テサロニケ人への第二の手紙二の一一)の明らかな前兆のもとに生活しているからである。

 エレミヤ書二の一九、三の一五・二二―二五、四の三―六。

 今やさしあたり、われわれは、見たところ果てしない手さぐりの、不愉快な時期に入っている。しかしそのあとに、新しい発見の時期がつづくであろう。すなわち、今日すでにそれぞれの個人が自分の内部でくぐり抜けなければならぬ試煉を、これから諸国民が体験することになるであろう。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫