蜀犬 日に吠ゆ

1901-08-01

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眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

 かなり多くの本当に敬虔な人たちが、祈りや教会通いや、すべてのいわゆる「礼拝行事」を、一種の義務や善行として、いわば、神によろこばれる仕事、また彼らの人生の任務の一部を果す仕事だと考えている。しかし、それらの行為は、われわれの魂の力を高めるための手段であるべきで、ただこの目的をみたすかぎりにおいてのみ、その価値を持つのである。もし教会に入る時よりも、より善き人となって、出てくるのでないならば、また、食卓の祈りのあとで飲食の快楽に溺れてしまうならば、これらの宗教的な行為の意味がはっきり分るまで、それを中止する方がましであろう。神はみずからのためになにごとも求めず、すべてをわれわれのために欲したまう。ところが、われわれの宗教教師は、神を絶えず要求する父として説き、そのような神をできる限りなだめよと教える。これは、真に敬虔な人たちにとっても、しばしば実にわずらわしく思われる。絶えず神とともに生きる幸福についてみずから経験を重ね、真に確信ある観念を抱いている者は、全体としてほんの僅かである。教義を通じて、このような観念を与えることは到底できない。

 この点に、すべての宗教教育の根本的な誤りがある。宗教教育というものは、つねにただ入門的なものにすぎず、まだ信仰の大部分をまったくのみこめない子供の心に嫌悪を起させなければ、最上である。少なくとも私は、かつて宗教教育によって信仰へ促された経験よりも、信仰から突きはなされ、妨げられたことの方がはるかに多かった。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫