蜀犬 日に吠ゆ

1901-09-07

[][]九月七日 本当の内的進歩 はてなブックマーク - 九月七日 本当の内的進歩 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

 本当の内的進歩が行われる仕方には、つねに三つの段階がある。第一の段階は感激であり、さながら枯柴をもやすように、勢いよくパチパチと音をたてて高く燃えあがる火焔である。第二の段階は、この炎々たる火がいくらか消え衰える状態であって、つい先ほどまで火焔そのものであった人と同じ人間とはどうしても信じられないことが多い。第三の段階は、いつまでも燃えつづける石炭の火の、たえまなく暖かさをあたりにひろげる、静かな、変りいない焔に似ている。そこにはもはやすこしの動揺も変化もなく、その有益なはたらkふぃはだれにもはっきり分る。

 人間の精神がなにか大事な問題で、この最後の段階にまで達したならば、それは、内へむかっては平和、外へむかっては力と呼びうるような、あの活動的な平安を得ることになる。


 カンブリのジャンヌ・マリーは、神へ向っての人間の魂の最初の飛翔について、次のように語っている、「魂がその生れたままの本性を克服して、卑しい傾向や欲望を拒否したときに、曙光があらわれて魂を照らす。神の恩寵は神の聖なるみむねにしたがって、その魂のすべての行いを導かれる。完成のこの第一の段階に達するとき、魂は完全に己れをすて去って、神が欲し給うすべてのことに同意する。そのとき神が、その魂の願いや、思いや、愛のただ一つの対象となる。いまや魂は、善徳の花咲きみだれる園となり、それらの善徳が魂を美しくかざり、この世ならぬ光をその上にそそぐ。主は魂とすっかり親しくされ、さながら魂が主と一つになったかに見える。ああ、人びとがもしこのような恩寵を心にとらえうるならば、ほんの一日でもこのような楽しさにあずかるために、無数の世界をも見捨てるであろう。」

 この言葉は全く真実であって、すこしも誇張した表現ではない。しかし、それはまだ魂の楽しさであり、だからこそ、いつまでもそこにとどまっていてはならない。それはまったく別なものになり、もっと向上しなければならない。なぜなら、ある他の気高い魂の人が言ったように、われわれが利己心や好奇心からこのような地上の楽園(というのは、それは実際に一種の楽園であるから)を求めることを、神はよろこばれないからである。それにもかかわらず、多くの人びとは、楽園があるとまるで信じてもいないところに、それを追い求めて、ふたたびエゴイズムに欺かれる。現代においても、多くの宗派の創始者たちの伝記にこのことが示されている。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫