蜀犬 日に吠ゆ

1901-09-17

[][]九月十七日 もしわれわれのキリスト教が はてなブックマーク - 九月十七日 もしわれわれのキリスト教が - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

 もしわれわれのキリスト教が、われわれを日々の生活や職業上の任務に前よりも忠実にし、金銭上の問題に利己的でなく、富と名誉に対して一層無関心にし、すべての人に対してより親切に、心により大きな喜びと未来に対する希望とを抱かせるというのでないならば、それはまだ本当のキリスト教とはいえない。それはキリストのキリスト教というよりも、むしろ宗派あるいは教会にかかわる事柄にすぎない。すでにキリスト教という言葉からして、人を誤らせやすい。もしその言葉を、キリストの生き方や考え方にひたすら従うということ以外の意味に解するならば、それは誤った考えである。また、キリスト教とはいったいなにかということを、方々たずねまわる人があったとすれば、その人は真のキリスト教を求めていないのだといっても、おそらく間違いはあるまい。

 現代では、いかんながら、教養人の大多数が、およそキリスト教を信じようか、それともなにか他の考え方や哲学を選ぶべきかに迷い、また、キリスト教を(たいてい外的理由から)信じようと決心したあとも、それのどの「傾向」や「解釈」を選ぶべきかという問題を、あまりにくどく、あまりに長くいじくり回している。そのために、キリスト教とはいったい何か、キリスト教はそれを信じようとするものに何を要求するかについて、現代のさまざまな見解や学説の雑音にとらわれずに、真剣に反省するだけの十分な時間がなくなってしまう。

 現代の信教の自由は、われわれの救いと生命に至る道をかえって困難にした。しかし一方、この道を一層信頼すべき、一層確実に正しい目標へと導くものとしたことも確かである――およそこの道を本当に歩くならば。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫