蜀犬 日に吠ゆ

1901-10-13

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眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

 真実を語るということは、とくに真実に対して熱心な多くの「道学者」が考えるほど、さように容易ではない。

 まず第一に、まだその人の思想生活がこの世の事物から強く影響されている間は、真実はまったく見えないものである。それゆえ、キリストの言葉は、その当時の律法学者たちとの言葉とは、まるでちがって聞えたのである。

 マタイによる福音書第七の二十九、ヨハネによる福音書第七の四十六、箴言二〇の一二。

 つぎに、自分が知っている真理であっても、それをごく正確に、簡潔に、すこしの誇張もなく語ることもまた容易ではない。あらゆる誤解や論争の大部分はそれ自体承認されている事柄を定式化する時の表現上の欠陥からして、生じる。この理由からも、「神の言」は、ありふれた人間の言葉とはちがっている。このことは、聖書の言葉と人間の言葉とが直接並べて述べられる説教において、一番はっきりわかるが、本書でもそれは同様であろう。箴言三〇の五・六、詩篇一二の七。

 最後に、われわれはたいていあまりに速く、あまりに多く語りすぎる。箴言二九の二〇、伝道の書五の一・二、ヤコブの手紙一の一九。

 現代では、あらゆることが、それを書いている当人にも十分はっきりしないうちに、いやでも新聞や雑誌や協会誌に発表されてしまう。あらゆる思想や研究のまだ生れもしない赤ん坊が、それぞれその発表の「機関」を持たずにいられないし、そのため赤ん坊はしばしば窒息してしまう。

 しかし「道学者」たちは、ただ主観的真実を求めているのだ、いいかえると確信どおりに語ることを要求するにすぎないと言うが、彼らが誤っていたり、未熟であれば、実に大きな害を与えるおそれがあること、また、その信念も単なる偏見にすぎない場合もあることを、彼らは忘れている。嘘をつくな、つまり、よりよき知識に反して語るなということは、ごく消極的ではあるが疑いもない道徳的要求である。反対に、真実を語るということは、それとはまったく違ったもので、これは命令するわけにはいかない。われわれはまさに真実を語ることができなくてはならない。しかし、長い間嘘をついてきた者や、現代の社交界で多く見られるような、世間一般の虚偽の雰囲気に生きている者には、それは不可能である。このことを痛切に感じている人は多いが、それでも真実を語ることができない。そして彼らが、単なる道徳論でこの牢獄からぬけ出せないことは、きわめて確実である。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫