蜀犬 日に吠ゆ

1901-10-18

[][]十月十八日 自らの悪しき部分(自我) はてなブックマーク - 十月十八日 自らの悪しき部分(自我) - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

十月十八日

 ジェノヴァの聖女カタリナが「みずからの悪しき部分(自我)は、おのれの名を呼ばれるたびによろこぶ」といったのは正しい。非難をこめて呼ばれる時でさえよろこぶのである。われわれは、もはや全く自分のことを考えず、その意味で自我をすっかり棄て去ることに、自分を慣らさなくてはならない。しかし、それができるようになるには、その前に、人間の本性の深い堕落を経験によって知り、また、これと全く異なる生存の実際の可能性が自分自身において示されていることを、やはりいくらかの経験を通じて、知らなければならない。

 あらゆる人間の運命の秘密は、同じ聖女カタリナの次の短い言葉に表されている、「人の精神は愛したいと思い、愛において祝福にあずかりたいと願う。造物主も人間をそのように定められた。人がこの愛の衝動をうつろいゆくものによって満たしうると思うならば、それはおのれを欺くものである。そして、至高善である神を求めようとしないで、自分に与えられた貴い時間を、そのような愚かさで、いたずらに失っている。そうではなく、人は神においてこそまことの愛と聖きよろこびを見出し、まったき満足が与えられるであろうのに。」実際その通りである。しかしそのことをほんとうに信じるのはなかなかむずかしい。そのためには、大きな苦難の時期が必要であり、それに堪えたのちに初めて、ヨブとともに次のように言うことができる、「主よ、わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、今はわたしの目であなたを拝見しました」(ヨブ記四二の五)。

 「ポリュクラテスの指輪*1」は、心理的に全く正しいアイディアをもつ物語である。ものを所有する満足からのがれようと思うならば、一番愛しているものを棄てなければならない。そうすれば、ただちにそれ以外のあらゆるものに対する執着を失う。こういった執着が、多くの人にあっては、財宝、家、蔵書、蒐集品、絵画、その他の高価な品々に対する真の奴隷状態にまで昂じることがある。他の点では善良だが、「しかし、その魂がちりについている」(詩篇一一九の二五)――このような人たちのことを、ダンテは『神曲』煉獄篇第一九歌で、法王ハドリアヌス五世(ジェノヴァのフィニスキ家の出)の姿をかりて驚くほどたくみに描いている。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫

*1:古代ギリシアの伝説。サモス島の王ポリュクラテスはあまり多くの幸福に恵まれたので神の嫉みを恐れて、最愛の指輪を海に投じた。しかしその指輪は不思議な出来事によって再び王の手許にかえった話。同名のシラーの物語詩がある。