蜀犬 日に吠ゆ

1901-10-27

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眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

 社交についても、他の多くの事柄と同じように、ただ、節度をまもるということだけが正しい態度である。たえまなく人と交際していれば、だれでも精神的な害を受けずにはすまない。キリストでさえ、時には人との交わりをやめて、父なる神とだけにならねばならなかった。つねに人びとにとり囲まれて煩わされることの多い聖職者、教師、施設の所長たちの場合にも、まもなく彼らの力の衰えがはっきり感じられる。ブルームハルトも、結局あまり大ぜいの人にとりまかれたその生涯の終わりに、「悲惨のなかに埋もれた」と嘆いた。決してそういうことになってはならないし、それは少しもキリストに倣うゆえんではない。こうしてついに、多くの人びとが、湧きでる力を全く失い、「味のぬけた塩」(マタイによる福音書五の一三)になってしまう。

 ルカによる福音書五の一七、、一四の三四、マルコによる福音書八の三六、ヨハネによる福音書七の三八。

 これに反して、孤独癖も健康とはいえない。もっとも現代では、われわれは人間との過度な接触の結果に苦しまねばならないので、そのような性癖を大目に見てやりたい気持も十分あるにはあるが。孤独癖は人間をわがままにし、世間にうとくし、善を行う気力を失わせる。だから、われわれは聖なる隠者などを信じない。このような聖性はあまりにも手軽に得られるものだから。

 だれでも自分の性質が、そのどちらの側に傾いているかを知って、それと反対の傾向をも促すように、適当な時期に措置しなければならない。

 ことに今日の女性の運命を見ると、ある人はあまりにもひまで全く無用な存在であり、またほかの人たちはあまりに苦しみ、過労に陥っている。彼女たちの健康の障害も、そのような欠陥のせいである。手おくれにならないうちに、一方の人には、なにか有益で興味のある仕事を与え、また他方には、休養と心の落ち着きをうる機会とを与えることによって、援助することが必要である。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫