蜀犬 日に吠ゆ

1901-12-01

[][]十二月一日 老年期の始まるころのある日 はてなブックマーク - 十二月一日 老年期の始まるころのある日 - 蜀犬 日に吠ゆ

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫)

 老年期の始まるころのある日、一度過去に決まりをつけなければならない。怒りもなく、後悔の思いもなく、過去の帳簿を閉じて、もはやそれを開けてはならない。過ぎ去ったすべてのよいことに感謝しなさい。とりわけ、万事がよい結末に到達したことを感謝しなさい。最後に、実にたくさんのことがもう起る必要がなく、永久に片付いてしまったことに、感謝しなさい。

 そうしたら、これまでの生活とはまるでちがう「永遠」の命に向って進みなさい。これに入るための条件は、ヨハネによる福音書一七の三*1と六の四〇*2に記されている。


  われら登りゆく巡礼の旅すがら、

  より大いなるより深き教えを学びつつ、

  静かに、祝福された働きのうちに、

  疲れることも休むことも決してなく、

  つねに新しい力をもって、

  聖なるものと真なるものに仕えよう。

     (ウェストミンスター・アベイの

      大聖堂長(ディーン)スタンリー)


 なお、上記のことに言いそえたいのは、永遠のいのちに到るには、単に「罪の赦し」ばかりでなく、それ以上に罪を自分で忘れることが大切である。

 ローマ人への手紙四の七や詩篇三二篇一節もやはり、「赦す」と「蔽う」ということでこの区別をしているように思われる。この二つは、ちがった段階であって、時間的にも遠くはなれて起ることがありうる。しかし、神の赦しは、人間の心から悪の思い出がことごとく拭い消された時に初めて、完成するのである。というのは、だいたい悪への逆転はまさにその苦痛な思い出によって防がるべきものであるが、こうなればもはや逆転の懸念は全くなくなるからである。

 レーテの川の水をのめば、すべての罪の思い出と同時に、人生のすべての醜いもの、重苦しいものへの思い出も消え去り、そこで神のはてしない恩寵という浄福感しか残らないことになるが、このレーテの川は、ダンテの『神曲』では、彼岸、つまり天国にあるのではなく、此岸の煉獄にある。しかし、すでにこの地上で、過去のあらゆる苦しい思い出から完全に解放されるのは、その前にすべての自分の過ちを正直に認め、本当に悔い改めた者だけだというのである。

 ダンテ『神曲』煉獄篇第二八歌一二七行・一二八行、第二九歌三行・七一行、第三〇歌一四二―一四五行、第三一歌四〇―四二行、九四―一〇三行。


    レーテの河

  「赦し」とは、恵みにみちた言葉、

  しかし、最後の言葉ではない。

  われらは恩寵の国にうつされた時に

  犯した罪を思い出したくない。


  われらの心の奥にも

  むかしの思い出を残したくない。

  これから新しいいのちが栄えるのは

  明るい陽の光のなかであるべきだ。


  かつてわれらに加えられた

  他人の仕業も覚えていたくない。

  さもなければ、口で「赦す」といっても、

  心のなかではまた怨むであろう。


  われらが望む天国とは、

  地上の思い出のとどかぬところ。

  暗い影がいささかも残らぬように、

  光の流れに身をきよめたい。

ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫

*1:「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストを知ることであります」。

*2:「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう。」