1901-12-08
■ [書留][ヒルティ]十二月八日 近代の倫理学、神知学、または神霊学など 

- 作者: ヒルティ,Carl Hilty,草間平作,大和邦太郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1973/05/16
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近代の倫理学、神知学、または神霊学などの諸団体は、キリスト教や、文化民族のあいだで行われているその他の既成宗教を不満足なものと考え、これを彼らの理論の共通の背景または出発点としか考えていない。
彼らは既成宗教の代りに、それよりはるかにすぐれた高いものとして、一種の宗教哲学を置こうとする。ことに神知学は、それを古代インドの宗教哲学と結びつけ、この哲学をキリスト教よりはるかにまさった精神の所産であると称している。
このような評価の仕方について、われわれみずから判断を下したいと思うなら、たとえば、福音書とバガヴァド・ギーター(聖薄伽梵歌)とをくらべて見れば、それで大体十分である。キリスト教に対して最初から偏見をいだいていない人ならば、われわれに伝えられているキリストの言葉の方が限りなく大きな力にみち、一般により偉大な精神的内容を持っており、しかも、教養のない人にとってもずっと分かりやすいことに、驚くにちがいない。このことを認めない者は、どうしようもない人だ。その人はそれを分かりたくないのか、それとも判断力が欠けているのである。すべて神知学的なものは、あまり教養の高くない人たちには麻痺的なはたらきをする。そういう人でも、精神的に健康であれば、これについてあまり気持ちよく感じえないであろう。彼は、それを理解できないか、それとも興奮と熱狂におちいるかであろう。しかし、教養の高い人びとは、これらすべてのものが、結局、究めがたい事物についての単なる思弁、実りのない思索に終って、実生活になんらの効果もないことを知っている。数百年来のインドの事情が、事実をもってこのことを明らかにしている。また、シナの哲学的倫理学も、それがなんの実効をも及ぼさなかったという、同じように古くからの実例を示している。
しかし、これらのことは、キリスト教の内面的よみがえりを強く要請しつつある。現代の特徴的な、警告的な現象である。
マルコによる福音書一三の二二・二三、同胞教会讃美歌五七四番、八四三番、三八四番。
ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために』第一部 岩波文庫